11月になり秋もすっかり深まってきました。秋と言えば、そうです「食欲の秋」・・・あっ、もとい、Diet中のTarlinには、もはや遠い昔に聞いた今となっては懐かしい響きの言葉です。 あぁ、あの頃は良かったなぁ・・・じゅる。 それはさておき、今年は「芸術の秋」と洒落込みたいと思います。というのも、今年は、今世紀最大(まだ、今世紀になって10年もたっていませんが・・・)の大フェルメール展がこの日本で開催されるのです。ところがです、普通この手の展覧会は、大都市をくまなく巡るものなのですが、な・な・な・なんと、こともあろうにこの世紀の大フェルメール展、お江戸限定なのです。クスン(; ;) かくなる上は、大枚をはたいてお江戸に上るか、指をくわえて、くわえすぎて指がちょん切れるかのいずれかです。よくよく考えたところ、お江戸まで行くのもつらいけれど、指をくわえすぎてちょん切れてしまうと、お医者様にかかる費用も馬鹿にならないとの結論に達し、それならお江戸に上ろうということになりました。それも、単に美術展を見るだけのために、新幹線に乗っていくのも癪なのでプチ旅行を兼ねようとのことになりました。・・・こうして、経済の罠にはまっていくのですね。再びクスン(T T)

 続く主催者の方のお話では、今日の演奏会のために西宮から重度の呼吸障害の方が、持ち時間2時間のバッテリーを3つも用意し、聴きに来られるとか。音楽が好きでいながら、装置から出る音のためにこれまでコンサート会場に入れず、今回初めて生演奏を聴けることになり、大変楽しみにしておられるとのことです ・・・そんな話を聴くと、聴きに来られる方にますます申し訳なくなるばかりです(-_-;;;;
 ホワイエで各自昼食を取り、いよいよ本番。待機場所のモニターには、前半のモーツァルトの様子が映っています。後半の第九が始まり、ホワイエを出ていよいよ移動。どういう構造になっているのか、ホール内の廊下と階段を、昨日は歩かなかった所まで延々と歩かされます。時間稼ぎのためにわざわざ遠回りしているようです。舞台入り口手前まで来ると、壁の向こうから第2楽章の始まりが聞こえています。ここから、第4楽章の手前で入場するまで、我々はホール裏の廊下で漏れ聞こえるオケの演奏を聴きながら、壁にもたれたり床に座ったりして延々と待つことになったのでした。う〜ん、30〜40代ならともかく、60代以上の方は、実につらそうです(-_-;;;

 悪夢のリハーサルから一夜明け、今日はいよいよ第九本番。緊張に包まれる朝(?)、Erillを第九に誘ってくれた仲間の方から電話がありました。なんとご家族が急病で、本番に出られなくなったというのです(T_T)信じられません(涙) Tarlin曰く、「なんでずっと真面目に練習を続けてきた人が無理になって、おぬしのような付け焼き刃が本番に出るのじゃ。世の中間違ってはいないか。それが神の御心なのか。」全く同感(-_-;;; 寂しい気持ちで、いっしょに行く約束になっていたもう一人の方と合流して、会場のホールに向かいました。
 本日の京都は、気持ちの良い秋晴れです。通用口で受付をすませ、エレベータで2階にあがると、廊下の窓から比叡山が見えます。澄んだ空色に、紅葉の山並みが冴えています。演奏者やスタッフの方は、こんな風景を眺めていたんですね。ちょっと得した気分です。
 昨日と同じくホワイエに集合し軽く発声練習の後、午前中にゲネプロ(本番直前練習)。昨夜のフーガ崩壊のトラウマ(?)のため、戦々恐々の我われ合唱団(Erillだけ?)。いざ、合唱部分が始まってみると、・・・ん?昨日よりも指揮者の先生が分かりやすく指示してくれ、我々も2回目のため何とかついて行くことが出来ます。それでも昨日ほどではなくもやはりバラけがち。本番を前に、やや不安が残ります。指揮者の先生から、「Freude(フロイデ)という言葉、:独語で『喜び』という意味だから、もっと笑顔で。心から喜びを歌い上げて♪」というお話。そうありたいのですが、なかなか余裕がございません(-_-;

2008年11月30日(日曜日) 第九本番

 夕方、会場の京都コンサートホールに通用口から入り、ホワイエに集合。本番通りに並んで発声練習後、そのまま列を崩さずに廊下に移動。オーケストラが第4楽章に入る手前で、いよいよホールに入場です。我々4声は、オーケストラ背後の2階席へ。普段なら客が座る椅子の上に板張りの台をかぶせ、その上に立てるようにしてあります。
 オケは京都市交響楽団。上からオケを見下ろすと、ピッコロやティンパニが第4楽章を念入りに練習しています。Erillのすぐ後ろから「わぁ、のだめの世界!」と、嬉しそうな女の子の声も。1階ステージのオケの後には今回の第九の本当の主役、第5パートの人たち。車椅子や、付き添いの方に支えられている人もいます。緊張ただよう4声と違い、和気藹々とした雰囲気。オケを間近に感じられる位置で、ちょっとばかりうらやましい(^^)

2008年11月29日(土曜日) 第九リハーサル

 墓所に立ち入ることは出来ませんでしたが、ひっそりとした佇まいの中で、今もなお、その歴史が受け継がれ、時代の移り変わりを感じられる場所でした。
 こうして我々の旅も終わりを迎え、帰途につくことにしました。 

展覧会の感想は、鑑賞記(こちら)をご覧下さいね。 フェルメールを十分に堪能して会場からでるとびっくりです。我々が入場するときは、まだ列という概念が成り立ってはいましたが、すでにそれは塊となり、「1時間30分待ち」のプラカードが掲げられていました。ほんなこつ恐ろしかとこです東京は。
 美術館を出た後は、近くの「黒船亭」というお店でお昼ご飯を食べました。ハヤシライスが美味しいことで有名なお店ですが、やはりここも行列で30分くらい待つことになりました。どこへ行っても東京は人でいっぱいですね。

マルタとマリアの
家のキリスト

2008年11月16日(日曜日) 箱根とフェルメールの旅(3日目)

 そして、ススキ原の中に引かれた細い道をワラワラと人が まるでアリンコのように歩いています。人混みの苦手な Tarlin 既にテンションが萎え萎えになってしまっていますが、Erillが「行きたい! 絶対行くっ!!」と言えば、今日は反抗することもできず、勇気を振り絞って突撃することにしたのでした。結構風が吹いていて、風で剥がれたススキの穂が舞い散る幻想的な風景を見ることができました。

 途中、ロープウェイから見た富士山。Tarlinの予想通りかなり白んできています。「ふ・ふ・ふ・ふ Erillよ見よ。今日の富士山はもう店じまいじゃ。」と勝ち誇りながら早雲山まで戻り、ケーブルカーに乗りました。するとです。Erillが曰うのです。「ねぇ〜。太陽が既に居ないんですけど。夕日に映える紅葉は望めないのでは?」 「まさか、まだ3時だよ。」 「でもー。暗いよぉー。」 やばいシチュエーションです。ここは箱根。そう山の中の谷間なのです。本来であればまだまだ元気な太陽さんも、ここでは早々に魂を吸い取られて居なくなってしまわれるのでした。

こうなればとことんまで洒落込もうと「箱根紅葉ツアー」をセットすることにしました。小田原まで新幹線でいき、そこから箱根登山鉄道に乗って強羅についたのが11時頃です。少しひんやりとしていますが、秋らしい気持ちのいい空気です。本当は強羅駅あたりでコインロッカーに荷物を預けたかったのですが見あたらず、仕方なくタクシーで宿泊先のホテルに荷物を預けに行くことにしました。実は、あとから分かったことですが、箱根湯本から宿泊先のホテルまで荷物を運んでくれるサービスがあったようです。(泣) ホテルに荷物を預けて身軽になった我々、同じタクシーで強羅まで引き返しました。きっとタクシーの運転手さんにしたら、「引き返さずにそのまま早雲山まで行けばいいのに酔狂な客やな。」と思われたに

 ようやく待ち時間が過ぎ、いざ入場。ホールに入ると、客席はびっしり埋まっています。客席の真ん中左寄りに、TarlinとTarlin姉様夫妻を発見。第四楽章のオケによる前半が流れ、「歓喜の歌」の始まりを告げるバリトンの独唱。続いて、合唱の歌い出しです。半分びくびくしながら、くいいるように指揮者を見ると、ん??ゲネプロよりさらにはっきりと分かりやすい明快な指示。テンポも分かりやく振って下さっています。やはり指揮の先生、素人合唱団の加減を悟られ、それに合わせて下さったのですね。途中どうしても何カ所か危うげな地点はありましたが、そこそこ形になっていました。
 舞台の左袖に目を落とすと、手話隊の方々が、手話で歌詞の内容を伝えています。4〜5名で、動作もよく揃い、綺麗な舞のようです。・・・見とれていると歌えなくなるので、慌てて指揮に目線を戻しました。最後にアンコールで、第九のサビの部分(?)をお客さんもいっしょに合唱。気持ちよく、歌い終えることが出来ました。
 演奏後は、Tarlin およびTarlin姉様夫妻と、居酒屋でささやかな打ち上げ。Tarlin曰く、「いい第九だったぞよ。一般の合唱は、歌うだけで精一杯な風じゃが、第5パートの人たちが笑顔で本当に楽しそうだった。指揮者の解釈も独特で、自分の音楽を容赦なく追究しとったのもよかった。」Erill自身は練習不足で何とか歌えた感が強く、初めてオケと歌った感動を味わうに至らなかったのが少し残念でしたが、Tarlinのこの感想に、合唱指揮の先生の「これが本当の第九です。」という言葉を思い出し、歌い切れてよかったと実感しました。コンサートの舞台裏もかいま見え、よい経験となりました。

 指揮者の田中良和先生が合図をされて、いよいよリハーサルの始まり。が・・・1ヶ月前の合同練習で一度合わせていたはずが、なにやら勝手が違います。合同練習の時は楽譜通り、というかスタンダードなテンポだったのに、今日はご自身の解釈を存分にぶつけられ、テンポのコントラストを極端なまでに大きくつけておられます。とりわけ中間部の聴かせ所かつ難所の二重フーガをたっぷりと歌わせるべく、思い切りためてきました。あまりのスローテンポに、素人合唱団のフーガはあえなく崩壊寸前(・◇・) 指指揮者の解釈がいかにユニークでも京響の演奏はさすがなだけに、我々のヘタレ加減が目立ちます。
 合唱指揮の先生も、「明日の本番は指揮者をよく見て、とにかく乗り切るしかない!」と頭を抱える始末。帰りの電車の中でも、仲間同士で「うへ〜、これで明日ほんとに大丈夫かな?」という話ばかり。かの朝比奈先生の元で第九を合唱したセミプロのような方ですら、「この先生の指揮、やりにくい」というのですから、本当に難度が高いのでしょう。果たして、これで本当に本番は大丈夫なのか?明日にご期待・・・しないで下さい。

 箱根から東京へと駆け抜けた3日間の短い旅でしたが、美しい自然と、美しい絵画に触れ、そして篤姫Yearを締めくくることの出来た楽しい旅でした。

リュートを調弦する女

ヴァージナルの前に
座る若い女

ワイングラスを持つ娘

ディアナとニンフたち

小路

 さて、今日は待ちに待ったフェルメール鑑賞の日です。東京の日曜日の美術館・・・しかも、この地限りのフェルメール・・・混雑は予想していたので、早く行ってゆったりと見るために、目指すは東京都美術館に開館の30分前に到着するように出発しました。 はっきり言って・・・東京様をなめていました。 我々、どぇりゃー田舎もんでした。 30分前に美術館に到着すると、小雨の降りしきる中にもかかわらず既に傘をさした長蛇の列が。しかし、昨日のように「じゃ、止めにしようか」というわけにもいかず、逡巡している間にも伸びていく列に加わることとなりました。入場制限の4文字に怯えながら待つこと30分。前売りチケットを既にゲットしていた強みで開館後は第一陣入場を果たすことができました。 
 「フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち」と銘打たれた、この美術展。本当に東京まで来た甲斐がありました。 それでは、私たちが見たフェルメールをご紹介しましょう。

  さて、雨が降る前に、ひとしきりの血の雨が降った後、本日の行動に移すことにしました。「とにかく少しでも箱根を楽しもう」計画にして、再び大枠谷まで行って、そこから、遊歩道で姥子まで歩き、ロープウェイで桃源台に出て仙石原のススキを見に行くことにしました。思いもかけず歩くことになった遊歩道ですが、自然の中の空気が爽やかで気持ちいいハイキングとなりました。 そして、桃源台から満員のバスに乗って仙石原に着くと、「どうして、ここだけ?」と思わず叫びたくなるようなススキの草原が広がっていました。

「やっぱり元箱根に行っておくべきだったんじゃないの?」みたいな、Erillのちょっとトゲのある視線を感じながら箱根随一の紅葉の聖地「箱根美術館」に入りました。 確かに「夕日に映える紅葉」という甘美な風景はもうそこにはありませんでしたが、それでも、広大な手入れされた庭園の中で素晴らしい紅葉に出会うことができました。閉園までたっぷりと楽しんで、箱根美術館からさほど遠くない場所にある、本日の宿泊先「ホテルマロウド箱根」に行き、疲れを癒しました。
 もちろん、明日の元箱根からの富士山を楽しみにして・・・

 
           
           

 知人の誘いで、初めての第九にエントリーしたErill。5月末から週一回の練習に参加、最初は厳しかったソプラノパートの最高音も1カ月ほどでまあまあ出るようになり、順調に思えたのですが・・・8月頃から喉に軽い痛みを覚え、数ヶ月経っても取れません。耳鼻科の診断では、ごく軽症の声帯炎。薬をもらうもあまり効かず、原因も不明・・・酷暑で夜睡眠中に喉が乾燥するせいなのか、ソプラノパートの声域がブランク開けの喉には高すぎるのか・・・練習も休み休みで、10月中旬の本番指揮者を迎えての全体練習にはなんとか出たものの、本番出演はもはやほとんどあきらめモード・・・だったのですが、10月も下旬になって喉の痛みが不思議と治まりました。終盤にさしかかっている練習には、練習テープやCDで自習して何とか追いつき、復帰。付け焼き刃ながら、前日リハーサルに参加することが出来ました。
 今回の第九、「第8回命輝け京都第九コンサート」と名打たれています。通常、第九の合唱は4声ですが、この合唱団は5声まであります。原曲の4声から歌いやすい部分を選び、音域が広い箇所は1オクターブずらすなどして原曲を損なわないように編曲してあるため、障害者や高齢者も無理なく参加できます。第5声参加者はリハビリや発声強化を兼ねつつ歌う喜びを味わい、また通常パート参加者は第九の理念「人類みな兄弟」をより実感できる、という趣旨です。

 さて、箱根とフェルメールを楽しむという、この旅の目的は果たしたわけですが、実はもう一つ目的があったのです。それは、今年の5月に旅した天璋院篤姫の里を訪ねた鹿児島旅行の締めくくりを行うこと、つまり篤姫が眠る寛永寺を訪れることなのです。寛永寺は雨が降っているせいもあるのでしょうか、それまでの東京の喧噪が嘘のように、人気のない静かさに包まれていました。

2008年11月15日(土曜日) 箱根とフェルメールの旅(2日目)

 強羅駅から予定通りケーブルカーに乗り早雲山に着きました。ここからはロープウェイに乗りました。我々が知っているロープウェイは、行ったり来たりのやつで、例えば新穂高ロープウェイでは、1時間待ちの悲しい経験をしたこともしばしばなのですが、さすがお江戸のロープウェイは違いますな。まるでリフトのように次々とやってくるのです。ハイテク機器に感動していると、ほどなくゴンドラに乗ることができました。

霜月
2008年11月

 そしてゴンドラが上がっていきしばらくすると、山陰から富士山が姿を現します。その神々しい姿にゴンドラ内から歓声が上がりました。やっぱり富士は日本一の山っていう感じです。

2008年11月14日(金曜日) 箱根とフェルメールの旅(1日目)

 大涌谷に着くとそこは、すでに噴気が漂い、硫黄の臭いが鼻をついてきます。しかし、大涌谷と言えば、何をさておき「黒玉子」です。1個食べれば7年寿命が延びるという伝説の玉子です。たとえ、Die or Diet とTarlinを問い詰めるお医者様であっても、この玉子だけは「好きなだけ食え」と言わざるをえないでしょう。5個入りの玉子を買って2人で3個を食しました。少なくとも10年の寿命は確保されたというものです。・・・しかし、コレステロールの心配はないのかしら? などと無粋なことも頭をよぎりはしましたが、この玉子、本当に美味しいのです。一応、お塩も付けてくれているのですが、そんなものは全く要らず、玉子本来の甘みを感じるお味でした。 ところで、この黒玉子を作っている、その名も「玉子茶屋」へは少し山道を歩かないと行けないのですが、その行く道、「本当にここは日本か?」と思われるくらい異国(中国&韓国)の言葉が飛び交っていました。

違いありません。そうなのです、不肖Erill & Tarlin 酔狂の固まりのような人たちなのです。ほっといてください。とりあえず「強羅からケーブルカーに乗る」という行程を外すわけにはいかなかったのです。というか、箱根初心者につき、思いもつかなかっただけなのですが。強羅についた時、タクシーの運転手さんは、この酔狂な客の行動に危惧を抱かれたのか、大切な情報を教えてくれました。
   運転手様: このあと、芦ノ湖まで行くの?
   酔狂な客: イェース。
   運転手様: それならば、ぐずぐずせずに、できるだけ先へ先へと進んだ方がいいよ。
   酔狂な客: ホワーイ?
   運転手様: この季節、凄く混んでケーブルカーも2時間待ちくらい当たり前になるよ。
   酔狂な客: (・ ・);
本当は、強羅でお昼ご飯なぞと考えていたのですが、この会話に目覚めた我々は酔狂気分も一気に吹き飛び師の教えに従うことにしました。

手紙を書く婦人と召使い

 箱根湯本より憧れの小田急ロマンスカーに乗って新宿にたどり着き、本日のお宿はホテルリステル新宿です。新宿副都心の夜景が見えるはずだったのですが、やはり不況下の土曜日・・・どのビルも照明が消えていて少し残念でした。 でも明日はフェルメール。気力を充実して来るその日に備えようと(単に、いじましかっただけという説もありますが・・・)、築地の「すしざんまい」(東京での我々の定番のお店)に行きました。

 仙石原を後にした頃から、天気予報様のおっしゃる通り空が暗くなり、ポツリポツリと雨が降ってきました。(・・・こういうのだけは当たるのね。) 我々が類い希な酔狂者であるにしても雨が降りしきる箱根を楽しむほど酔狂でもないのと、あまり見えない富士山の近くにいると Erill様の「昨日見とけば・・・」という視線も痛いので、早々に東京に行くことにしました。途中、各界の著名人や文豪にも愛されたという富士屋ホテルでお昼ご飯など(・・・カレーライスだけね)を食して箱根セレブの気持ちを少し味わいました。

 朝です。 清々しい朝です。朝日いっぱいの気持ちのいい・・・ あれっ・・・ 朝日は? というか、なんなのこのどんよりとした暗さは? もしかして山特有の霧の中? でも、霧なら自分の目の高さだけだよね? ガーーーーーン。 紛れもない曇り空です。それもかなりお厚い模様です。いつ泣き出しても不思議でないような。 テレビをつけて天気予報を見ると、 「前線が南下してきて全国的に天気は崩れる見通しです・・・」と、昨日申したことは露も覚えておりませぬ的な無責任なこと言ったはります。「晴れ時々曇り」が一転して「曇りのち雨」って、それって節操があまりにもないのでは? かなりやばい状況です。 このままでは元箱根に行っても順光に輝く富士山どころか、雲のぬりかべーを見に行くことになること必至です。 いえ、それはいいのです。問題はErillです。このままでは、「無責任的お得度推定合意」した内容が不良債権化して鬼の債権者となることは目に見えています。 まぁ、どのようになったかはご想像にお任せします。しかし、ここで教訓。

    天気予報は信じるな。 目の前の天気を信じて行動せよ!!

 さて、再びロープウェイに乗り込み芦ノ湖畔の桃源台に降り立ちました。そして、遅めのお昼ご飯になるのですが、桃源台ビューレストランで「とれたて玉子オムライス」なるものを食しました。・・・本日玉子キャパ完全振り切っています。さて、お腹もひとごこちついて、本当は海賊船に乗って元箱根に行って富士山を見るつもりだったのですが時計を見ると2時。陽も少し赤味を帯びてきています。このままだと元箱根から拝む富士山は逆光モードで見ざるを得なくなるのではとの予感が頭をよぎり、TarlinがErillに後から思えば痛恨となる提案をしてしまいました。「ねぇ、ねぇ、このままだと富士山が逆光になってしまうし、明日も天気良さそうだから元箱根からの富士山は明日にして、強羅に戻って箱根美術館に行かない? 夕日に映えてきっと紅葉がきれいだよぉーーーー。」と。 するとErill。「えっ、そうなの? でも天気はわからないし。見えるときに見た方が・・・・でも、・・・・まかすよ。」と。そこそこ長く連れ添ってきたTalin。これをErillの「無責任的お得度推定合意」と呼んでおります。本当は元箱根に行った方がいいと思うけれど、「本当に逆光だったらどうしよう・・・。それはそれで悲しいし、何よりもTarlinになじられないかしら。まぁ、Tarlinの言う通りにしておけば、万一、明日富士山がみれないようなことがあってもTarlinをなじればいいことだし。 きれいな富士山をみれればそれに超したことはないわ。言うとおりにしておくのが、お・と・く。 うふっ。」ってな感じです。いずれにせよ決定権はTarlinに委ねられ、来た道を引き返し箱根美術館に行くことにしました。