2008年5月
皐月

 ようやく、新燃岳からの降り口に辿りつくと、風もぴたっととまり、前方に獅子戸岳と韓国岳が見渡せます。なんか、温かい〜〜(^o^) ここを降りると、まもなくツツジの廻廊に入り、ずっとツツジのトンネルの中を下山します。

 人混みが苦手な Tarlin。ゴールデンウィークはどこに行っても殺人的な人混みですので、お家でおとなしくするのが基本です。ただし、5月1日は Tarlinの会社はメーデーと言うことでお休みですが、通常営業している会社も多いし、学校なんかも、みんな「お休みはどうしよう」などと上の空気分ながらも勉強なさっていることでしょうから、場所によってはそんなに混雑していないこともあり、ちょっとしたお出かけならできます。そこで、今日は以前から行こう行こうと言いながらもなかなか行かなかった赤目四十八滝にハイキングに行きました。
 まずは、近鉄電車で赤目駅に降り立ち、その後はバスで滝口まで行きます。そこで、美味しそうな草餅を売っているお店があったので、おやつ代わりに草餅を買っていよいよちょっとした登山です。登山と言っても傾斜も緩やかで道も整備されているので楽勝コースです。ただ、ハイヒールで来られていたお姉さん・・・ ちょっとナメすぎでは? 赤目四十八滝は、大瀑布はありませんが小ぶりから中ぶりの滝が断続的に連なっており、川沿いを歩くのでとても気分が爽やかでした。また、他の大きな滝とは異なり、少し歩くと、先ほどまで見上げていた滝の落ち口が今度は上から眺めることができるのも楽しいところです。それでは、お気に入りの滝を二つ紹介しましょう。

ほーら、マンホールだって、島津の紋が燦然と輝いています。電話ボックスだって負けてはいません。

 このようにして、今日は見ました、高千穂峰の主峰を・・・ どうです、天の逆鉾がちゃんと写っているでしょ。

ほら、やっぱり・・・

うん?

あれ?

なんと、よく見ると、御鉢の稜線が一番下がったところが少し盛り上がっています。 ああぁっ、これだ!!

 新燃岳山頂は、大きな火口湖になっていて、次に目指すは、本日のメインイベントでもある「ツツジの廻廊」なのですが、そこに向かうには、この恐ろしげな火口湖を取り巻いているふち沿いに歩いて行かなくてはなりません。あまりの酷い風に泣きそうになりながらも、Erillの後をトボトボとついていくドナドナ気分のTarlinの姿がそこにありました。

 下界は、とってもいい天気だったのに、山に入り始めると少しガスが巻いているのが少し残念ですが、とっても開放的で、気持ちのいい山です。 と、まぁそうこうしているうちに中岳山頂につきました。

2008年5月13日(火曜日) 鹿児島旅行(4日目:指宿の情緒と特攻基地)

 篤姫館を出ると、もうお昼時で、指宿駅近くの「四季彩料理青葉」というお店で、Erillは、憧れの奄美料理の鶏飯(けいはん)を、Tarlinは、薩摩定食なるものを食しました。とても美味しいお店でした。

 実は、山頂に至る少し手前で、ちょっとした難所があるのですが、重装備のErillは四苦八苦して登っていたのに対して、軽装(というか、街ルック)のTarlinはサクサク登るのでした。きっと、Erillはあまりの重装備で身体が重く、登りづらかったのでしょう。 うーん、これは、ニュートン先生もきっと納得のTarlin軽装備の勝利でしょう。・・・単に、Erillがトロかっただけ?

 薩摩は島津、でも、西郷さんの人気も半端ではありませんでした。西南戦争の薩軍戦没者を祀った南州墓地、西郷隆盛をはじめとして桐野利秋、村田新八らのお墓が大切に守られています。今でも、花が綺麗に供えられ、地元の方と覚しき方が手を合わされています。昨日見た、西南戦争官軍戦没者慰霊碑などは、タンポポの花一つ供えられていませんでしたが・・・

今まで色んな所を旅してきましたが、このような所はありませんでした。今でも鹿児島は島津なのですね。 そして、島津を祀っているのが照國神社です。堂々とした社殿の至る所にに島津の紋が、「これでもか、これでもか・・・」と踊っています。 

 鹿児島・・・それは薩摩、いえ、それは今でも島津なのです。その証が所々に見られます。その思いは鹿児島に入った時から感じていました。 だって・・・

薩摩と言えば、この二人、西郷隆盛と大久保利通。でも、当地で何となく肌で感じたことは、西郷さんの方が圧倒的に人気があるような・・・
がんばれ、原田泰造!! 

 お腹も一杯になって、福山町を後にした我々は、桜島に入りました。まずは、桜島旅行お約束の黒神埋没鳥居なるものを拝みました。噴火の時の火山灰で埋まってしまったということですが、恐ろしいことです。そして、桜島を一周して湯之平展望台へと向かったのですが、この時、桜島がちょうど噴煙を上げていて、道路は火山灰だらけ・・・自動車にも灰が積もってしまいました。激しい噴火の時には、市内にもこの灰が降るそうです。

2008年5月16日(金曜日) 鹿児島旅行(7日目:マニアックな名所巡り)

 我々の霧島登山もこのようにして終わりを迎えました。 いつか、きっと韓国岳に登りたいと思います。 ありがとう 霧島。 

 本当は、今日は、霧島神宮詣でや、えびの高原散策など霧島の名所巡りを計画していたのですが、山登りの気持ちよさにはまってしまった(そこには、「みんな、なんで、山にのぼるん?」と問いかけるTarlinはいませんでした。}のと、高千穂峰の主峰の雄姿を青空の下でもう一度見たいと思いから、本日も山登りすることにしました。 なんか、Tarlinをの目を山に向けさせようと狙っていたErillの策にまんまと嵌められてしまったようです。
 それは、さておき、まずは大浪池から韓国岳を眺望することにしました。麓の駐車場に自動車を置いて山道に入ると、とても綺麗に整備されており、とても風情のある山道となっていました。途中からは結構勾配が強かったものの、1時間くらいで大浪池に出ることが出来ました。すると、雄大な韓国岳をバックに美しい水を湛えた大浪池が姿を現しました。

 下山後、バスに乗って高千穂河原にまで戻ると、なんと、ビジターセンターを訪れるとパークサービスセンターから高千穂峰の天の逆鉾が見ると教えていただいて、閉館間際にパークサービスセンターへ行きました。位置的に、高千穂河原からは御鉢が邪魔して高千穂峰の山頂にある天の逆鉾は見えないはずなんですけれど・・・

 さて、ここからは、新燃岳に向かいます。傾斜もあまりなく快適な木道まで整備されています。「・・・コレって、街ルックで十分では。」と自分の行動の正しさを、改めて噛みしめるTarlinでした。 中岳山頂より小一時間、まるでピクニック気分で新燃岳の山頂に到着しました。しかしです。それまでは全く吹いていなかった強くて冷たい風がビュービュー吹いているではありませんか。 ・・・うぅ、ちゃぶ。 そこには一気に重装備Erillが優位に立ってしまった悲しい現実がありました。

 今日は、Erill念願の地、霧島へ山登りに行きました。 目指すは、中岳から新燃岳です。高千穂河原の駐車場に自動車を停め、いざ出発です。以前から山に憧れ、山登り好きのErillはステッキまで持って何となく山登りの装束に身を固めていますが、「みんな、なんで、山にのぼるん?」派のTarlinは普通の格好をしています。ええ、きっと大阪の街中を歩いていても何の違和感のない格好で・・・ しかし、山を登り始めると、それが周りの人から見ると、とても異様な姿に見えていることを実感し始めました。だって、みんな、どう見ても山人なんです・・・ 足下のスパッツは当たり前で、中にはゲートルみたいなものを巻いている人もいるし・・・ ステッキも Tarlin 0本、Erill 1本なのに対して、一人で 2本も持っている強者も・・・ なによりも 着ている服が ・・・ 全くちがいます。。。 はっきり言って Tarlin ・・・場違いです。 (T T)
 まぁ、そんなことは気にせず、一路、中岳に向かいます。 この季節、霧島はツツジが咲き誇ります。

 お腹も満足して、この後、再び知覧に向かいました。今日のお目当ては、「知覧特攻平和会館」です。知覧は、かつて太平洋戦争の頃、陸軍の特攻基地のあった所なのです。 会館には、出撃していった若い兵士の遺書や遺品が数多く展示されています。 そして、遺書や家族に宛てた手紙を読むと、当時の二十歳前後の青年と、自分の同じ頃のあまりの落差に愕然とするのでした。彼らが国を憂い、家族を想い、決死の覚悟で出撃して行った頃・・・我々は何してたっけ??? 

 この後、白水館というお宿に入って一心地をつけたあと、これまた篤姫のロケ地である知林が島まで散歩に出掛けました。この日は、潮位が高いため、島に渡る砂州は完全に露出しませんでしたが、ちょうど干潮の時刻だったので、かなり島の手前まで行くことが出来ました。 散歩を終えて宿に戻ると、今度こそ温泉に入ってのんびりしながら一日を終えました。

この中でも豊玉媛神社は、我々の住んでいるところではあまり見られない不思議な様式の神社で、鳥居の両脇に狛犬ではなく、仁王が睨みをきかせていました。なんでも廃仏毀釈の時に埋もれてしまった、島津家の菩提寺から最近になって移してきたそうです。この日、「篤姫ツアー」の一団が数組あり、それぞれのスポットで、さもその一団のメンバーであるかのように「ふむふむ なるほどーーー」と聴き入ることができ便利でした。 最後に今和泉島津家のあった海岸からの桜島をしみじみと眺めて薩摩今和泉を後にしました。

薩摩今和泉ツアーの起点は何と言っても薩摩今和泉駅です。さすがに、たいそうな盛り上がりようです。そして篤姫人形と帯刀人形は自動販売機を鉄壁のブロックで堂々の営業妨害中です。(T T)  まぁ、それはさておき、我々は、ここから、「篤姫 ゆかりの地を訪ねるモデルコース」なるものに従って、街並み散策をしました。

 鹿児島と言えば桜島、霧島と日本でも有数の火山地帯です。そして火山と言えば・・・そう、温泉です。ということで、本日は、指宿へ向かうことにしました。プラザホテル天文館を出発して、指宿スカイラインを一路南下します。

 吹上浜を訪れて、司馬遼太郎の「故郷忘れじがたく侯」に始まった朝鮮陶工に思いを馳せる旅にErillも満足したようですので、次なる目的地に向かいました。 そこは、美しい武家屋敷群がある知覧です。江戸中期に島津藩の知覧領主らによって造られた枯山水を基調とした屋敷庭園が心を癒してくれます。 また、庭園も素晴らしいのですが、武家屋敷のある通りがとても美しく、ゆっくりとした時間が流れており、この通りを歩くだけで気持ちが和みます。
 さて、思いかけず美山で長居をしてしまいましたが、ちょうどお昼時になったので、薩摩半島の西海岸に出て、江口漁港の江口蓬莱館というところで食事をしました。 地元の方で大変賑わっていて、「きっとこれは美味しいに違いない」と思ったので30分待つことになってしまいましたが期待通り本当に美味しい海の幸を頂くことが出来ました。

 昨日とうって変わって本日は、とてもいい天気です。実質的に鹿児島第1日目となる今日は、Erillが、司馬遼太郎の「故郷忘れじがたく侯」という本を読んで以来、行きたがっていた美山の沈寿官窯からです。美山は薩摩焼発祥の地で、慶長3年(1598年)に秀吉の朝鮮出兵時に島津義弘の命で連れてこられた陶工の方々が、故郷朝鮮に思いを馳せながらも営々とその技を伝えてこられた町なのです。

 Tarlinの会社では、特に夏休みなどはないのですが、その代わり、1年に1回、フレッシュアップ休暇と称して、5日間連続でお休みを頂くことができます。2007年度分の〆切が来週までなので、このまま休みを取らなければ、世に言う「流し」となってしまうので、5月12日より16日までお休みすることにしました。そこで、今回のお休みは、鹿児島に行くことにしました。これまでにもDiaryで話していますように、我が家では「篤姫」で盛り上がっています。もう、鹿児島をおいて他に旅する所などない。という雰囲気なのです。そして、今日がその1日目。出立の日です。朝の10時にお家を車で出て、高速道路をひた走ります。 ただ、ただ、走ります。 わき目もふらず走ります。 走るだけです。そうです。記念すべき鹿児島旅行第1日目は、走っただけでした。思わず、爆風スランプの「Runner」を思い出しました。 きっと Tarlinが文学青年であれば、太宰治の「走れメロス」を思い出したことでしょう。 そして鹿児島のホテルに到着したのは翌日の0時30分頃でした。 一時は世をはかなんだTarlinですが、まだ元気ですね。 と喜んでいる場合ではありません。なんと到着したホテルは、「鹿児島プラザホテル天文館」という所なのですが、鹿児島市きっての繁華街「天文館」のど真ん中に位置しており、「えっ、ここって大阪の北新地?」って思わせるくらい客待ちタクシーの洪水で、その中を縫って走らなければなりませんでした。不慣れな所で神経を使いながら這々の体で車を駐車させると、そのままベッドに潜り込みました。

 はぁ〜。 なぜ5月2日はあるのでしょうか。 Tarlinの会社では、「こんな日に出てきても不幸なだけ」と結構、有給休暇をとってお休みになっている方も多いのです。かくいう私も、以前はそうでした。しかし、GW明けにビッグな休暇を予定しているので、この日ばかりは休むわけにもいかず、閑散とした職場で時を潰していました。(ってか、働けよ) すると、Erillからメールが入ってきました。何でも、友達とおしゃべりしているので、この後、夕飯一緒にいかが? というものです。 Erillは今日、アンニュイな夫を尻目に、友人達と三人で、あの「篤姫展」になぞ行っているのです。 Tarlinが東京出張のオプションにつけて勝ち誇ろうとしていた篤姫展がとうとう大阪にやってきてしまったのでした。(詳しくは、3月のDiaryで御確認下さい) Tarlinの篤姫知識のアドバンテージが失われる悲しい日でもあるのです。 まぁ、そんなことはおいといて、定時になるとアンニュイ地獄から抜け出すように速攻で会社を抜け出し、Erillとその友人と合流しました。 Tarlinにとっては結婚式の日にお会いして以来だったのですが、楽しく歓談することができ、アンニュイな気分を吹っ飛ばすことができました。

2008年5月2日(金曜日) アンニュイなGWの谷間

【布曳滝】

 まずは、円錐形の山容が美しい開聞岳に向かいました。開聞岳は、本当にきれいな円錐形をしているので、どの位置から見ても美しいのですが、その周りの景色とのコントラストがまた楽しいのです。 ということで、最初は、ちょっとマイナーですが、本土最南端の駅から眺める開聞岳です。 えっ! かなりマイナー? 本土最南端の駅は、JR九州の指宿枕崎線にある「西大山」という無人駅です。こじんまりとした可愛らしい駅ですが、ここから仰ぎ見る開聞岳は、「あぁ、南に来たんだなぁーという感慨にひたらせてくれる姿でした。

2008年5月15日(木曜日) 鹿児島旅行(6日目:霧島の山 再び)

2008年5月14日(水曜日) 鹿児島旅行(5日目:霊峰霧島の旅)

【お茶畑】

2008年5月11日(日曜日) 鹿児島旅行(2日目:島津の歴史に浸る)

2008年5月10日(土曜日) 鹿児島旅行(1日目:ひたすら走る)

 途中、川縁で Erillの手作り弁当を食べて、引き返しました。 本当は、もう少し早く降りてきて、この後、滝谷花しょうぶ園で芝桜が満開を迎えているとのことで見に行くことにしていたのですが、ゆっくりと風景を楽しんだためか結構時間が経っていました。

 このようにして、我々の鹿児島旅行も終わりをつげました。見飽きることのない桜島を眺めながら・・・

仙厳園にはお洒落なショップもあり、旅行も終盤で軍資金が底をついているにもかかわらず、ついつい散財の憂き目に・・・(T T) Erillを説き伏せて、これ、買っちゃいました。

 聞くところによると、篤姫のドラマでは、今後の展開で側室をもうけるとか・・・お近様を悲しませないで欲しいものです。それでは、島津の庭園、仙厳園をご覧下さい。

 それでは、本日最後の目的地、仙厳園と尚古集成館のご紹介を・・・ おおっっと忘れかけてしまいました、このお方を、 そう、篤姫に儚い恋を抱いたこのお方をっ!!

2008年5月17日(土曜日) 鹿児島旅行(8日目:さらば薩摩)

 あぁ〜っ。(ため息) 朝、、目覚まし時計にたたき起こされて起きたときの「あと10分だけ寝る。」の10分が経つことの早いことといったら・・・ それと同じで、楽しかった鹿児島旅行も、あっという間に最終日を迎えてしまいました。 クスン。 会社に行っているときは、「もう、いやっ、土曜日はまだ?」と思ったその日が月曜日だったりするのに・・・
 とにかく、泣いても笑っても今日が最終日ということで気合いを入れ直して、鹿児島シティに繰り出しました。 どうです。我々の旅行の最終日を飾るように青空の下、鹿児島の若き偉人達も祝福してくれています。

 篤姫館を出た後も、篤姫のロケ地まわりよろしく、鶴丸城の城門前の撮影に使われた石橋記念公園や東郷平八郎像を見に行ったりしてこの日はホテルに入りました。

 前日のお宿は、「花みずき」という温泉宿で2日続けての温泉ですっかり旅の疲れも癒えました。そして、今日はチェックしていたポイントを巡りながら再び鹿児島市に戻ることにしました。 

 御鉢の後ろに少しだけ顔を出す高千穂峰の主峰の神々しさに、しばし時を忘れます。ところで、この季節は、地元の小学生の遠足が霧島登山のようで、多くの小学生達とすれ違いました。面白かったのは、「こんにちは」と山の挨拶を交わすのはもちろんですが・・・、なんと、「握手して下さい。」と握手を求めて来られてくることです。 別に、こちらは有名人でも何でもないのですが・・・というよりも、ただの吹いたら飛ぶような一庶民なのですが・・・ もしかすると、彼らは、Erillという下僕を付き従えた厳かなTarlinを見て、都人の匂いを感じ取ったのかもしれません。「頑張って下さい。」とか、「あと少しですよ。」とかどちらが大人か子供か分からないような励ましを受けてなんか勇気づけられながら進みました。 最近の子供は冷めているとか言われますが、とても清々しい子供達でした。見て下さい、これが、我々を元気づけてくれた子供達の雄姿です

 今回は、天文館の喧噪を避けて、鹿児島中央駅近くにあるホテル・アービックに泊まることにしました。

・・・ 今日の夕ご飯
やはり、鹿児島に来たからには、黒豚のトンカツということで、その名も「黒かつ亭」でトンカツ定食を食しました。 こんなに美味しいトンカツを食べたのは初めてでした。。

 砂むし温泉で身体が温まった後、指宿篤姫館でドラマのセットなどを楽しみました。

 あまりの美しさに魅せられて、ただぼんやりと長居をしてしまいましたが、この後も行くところが沢山あることから、後ろ髪を引かれる思いで戻ることにしました。しかしです。駐車場に向かって歩いていると、よからぬ文字が・・・「アップル・マンゴー冷えています。」 この後、行くところがあったから後ろ髪を引かれつつも引き戻ってきた我々、後ろ髪を引かれたことも忘れて、アップル・マンゴーに吸い寄せられたダメダメ人間でした。
 アップル・マンゴーを食して幸せな気分になって向かったのは、「開聞岳観望のメッカ」と呼ばれている(本当か?}池田湖です。池田湖の見所はドライブインにあるお花畑からの眺望です。

 次は、昔、焼酎のコマーシャル(あの、コマーシャルは、夕刻、シルエットとなって浮き出る開聞岳だったように思います・・・)を見て以来、憧れていた長崎鼻からの開聞岳です。これまた、薩摩半島最南端の位置にあります。

・・・ 今日の夕ご飯
やはり、鹿児島に来たからには、薩摩ラーメンということで、「とんとろ」でラーメンを食しました。そしてお口直しに、鹿児島名物「しろくま」をいただきました。

【玉山神社社殿】

【路地】

Erillの湯呑み

Tarlinの茶碗

ことは無かったのですが、その歴史を知れば知るほど、その作品を見れば見るほど、薩摩焼が好きになりました。そして、買っちゃいました。こんなのを・・・

迷ったのですが、芝桜くらいなら1時間もあれば観て回れるだろうとのことで行きました。 しかしです・・・ 入園しようとすると、係の方が申し訳なさそうに、「芝桜はもう殆ど終わってしまったんですよ〜。 お詫びにしょうぶが咲いたらまた見に来てくださいね。」と無料チケットを頂きました。確かに、芝桜は終わりかけてました。(T T) 本当なら、花の絨毯となっているところですが、地肌がたくさん見えています。 まぁ、美しい滝も見えたことですし良しとしましょう。

【荷担滝】

 本物の山人は、ここから、遥か先に見える韓国岳に登るようなのですが、そこは、まだ根性のない俄登山家で、本日も街ルックのTarlinを引き連れた我が部隊は、美しい風景に満足して「任務完了」とばかりに下山したのでした。
 次のミッションは、「昨日綺麗に見えなかった高千穂峰の主峰を見てやる作戦」です。昨日に引き続き高千穂河原の駐車場に自動車を停めて、再登坂を開始しました。うーん、今日はいい天気です。高千穂峰もこの通り。

 えーっと・・・不肖Tarlinなどは、パソコンゲームで徹夜してたとか、不肖Erillなどは、カラオケ三昧の日々を送っていたとか・・・ (; ;) クスン・・・ 思い出すの止めました。
 同じ鹿児島の大隅半島にある鹿屋には海軍の特攻基地もあり、鹿児島という地は、薩英戦争しかり、西南戦争しかり、太平洋戦争しかり、近代に至る時代のうねりの中で、多くの若者の命が散っていったところだと改めて思いました。この後、以前「ホタル」という映画の舞台にもなった富屋食堂に寄って、鹿児島市に戻りました。

そうこうして、旅館を後にした我々の目指すところと言えば、そうです、す・な・む・し・お・ん・せ・んです。 指宿まできて、砂むし温泉に入らずんば、人にあらず。とまでは、言いませんが・・・ やはり、あの情緒は是非味わいたいものです。あいにく、この日は潮が満ちていたため、波打ち際での砂むしとは行きませんでしたが、潮風を受けて波音を聞きながら、とても贅沢な時間を過ごしました。 しかし、残念ながら、Erillは砂むし温泉の掟を知らなかったため、熱いのにひたすらガマンして、背中が真っ赤か トホホ・・・

 ところで、この薩摩今和泉で入手した情報によると、篤姫のロケ地・・・そうです、ちび篤姫が困窮する農民の暮らしをみて、その矛盾に悩んで、今で言うハンガーストライキ(?)をしていたときに、母のお幸から人の役割について諭された場面を収録したあのロケ地へ行くことができるというのです。ドライバーのTarlinは、もう色んな所を見たし、そろそろお宿に入って、ゆっくりと温泉にでもつかりたい気分だったのですが、助手席で「ちょっと、お眠るなー。 クゥ〜」と、せこく、こまめにプチ睡眠をとって元気いっぱいErillが、せっかく来たんだからとせっつくので行くことにしました。 トホホ・・・ でしたが、行ってみてびっくり、棚田に池田湖そして開聞岳と素晴らしい景色に出会うことができました。

 この後、朝鮮陶工を偲ぶ旅の第二弾として、広大な砂丘が続く吹上浜に行きました。なんでも朝鮮で島津義弘の命で捕らえられた(今流に言えば拉致?)された陶工達は日本に送られてくるときも順風ではなかったようで、九州の西海岸を点々としながら、最終的にこの吹上浜に流れ着いたとの事らしいのです。異国のしかも、このように何もないただただ砂浜の海岸線だけが続くところに流れ着いた人達の心はいかばかりかと、少し考えさせられました。

その名の通り、落ちてくる水が糸を引くように細くて白い美しい滝でした。

し、し、しかし、偉人達と観覧車 この辺の取り合わせがなんとも絶妙です。 さすが進取の気性に富んだお国柄でしょうか。それとも観覧車の嫌がらせ? まぁ、それはともかく、この日は、時間の許す限り鹿児島市内を満喫しなければなりません。ということで、この場でも急ぎ足でスポット紹介します。 

・・・ 今日の夕ご飯
今日は、鹿児島最後の夜 (; ;)ということで、 やはり、初日と同じように、薩摩ラーメンにしました。今日は「こむらさき」というお店で食しました。そしてお口直しは、これまたやはり、鹿児島名物「しろくま」でしめました。

 久しぶりに鹿児島市内に戻った我々は、まずは、何はともあれ、篤姫館に行きました。篤姫館は、指宿と鹿児島市内で同時開催されているのですが、内容が変わっています。Erillは篤姫の撮影で使用した着物を羽織らせてもらって感激の写真撮影などを楽しみました。

 火山灰で白くなってしまった自動車を転がし、鹿児島市内へと戻るべく桜島フェリーに乗りました。イルカの群れを見たりと、ちょっとした錦江湾クルージング気分です。

さて、続いては大隅半島に入って、「黒酢の里」、福山町です。 実は、昨年、人間ドックの結果を見て、世をはかなんだTarlin。藁にもすがる思いで黒酢パワーに、その命を託しました。以来、毎日飲んでいる黒酢ですが、その故郷を訪ねてみたかったのです。その名も西郷さんというマネージャの方に壺畑を案内してもらって色々なお話をお伺いしました。そして、その後は、併設されているレストランで黒酢料理をいただきました。

 まずは、鹿児島県ではないのですが、お隣宮崎県の小林市にある「出の山湧水」です。 前にも書いたかも知れませんが、実はTarlinは、いつかは日本百名水を征服しようと企んでいる名水マニアなのです。この鹿児島旅行でも、知覧の近くにある「清水の湧水」に寄っており、今回の旅で新たに2箇所の名水を巡ることができました。全ての名水を死ぬまで(オイオイ・・・)に巡りたいものです。 あと70箇所ほど行かないと行けないので・・・うん? 無理っぽい(T T) 

そうなんです。御鉢の少し窪んだどころから、高千穂峰の山頂が少しだけ顔を覗かせているのです。逆鉾自体は本当に細い線でしか確認できませんが、鳥居と逆鉾が刺さっているガレ場がはっきりと見ることができます。 ところで、今日の朝、ここに来たとき、こんなに綺麗に高千穂峰が見えたっけ? そういえば、中岳を登っているときも、高千穂峰がけぶっていて全然見えなかったのです。いまさら、高千穂峰を観て、その厳かさに感動したのでした。
 この後は、今日のお宿「旅行人山荘」に向かい、温泉につかってゆっくりと身体を休めました。

 旅も4日目ということで、今日は少しのんびりすることにしました。お宿でチェックアウトぎりぎりまでゆっくりした後、旅館が運営する薩摩伝承館という、とても立派な博物館で、豪華な薩摩金襴手の数々を堪能しました。なんでも、欧米に輸出するために欧米人好みに、薩摩で造られた素地を京都に持ち込んで派手な装飾を施したとのことですが、やはり薩摩焼は、繊細な素地が楽しめる古来のものが素敵だと思います。

辿ったコースは、
  ・今和泉島津墓地
  ・光台寺参道跡
  ・田ノ神像
  ・豊玉媛神社
  ・孝女「袈裟子」の碑
  ・今和泉島津家屋敷跡
  ・今和泉島津家手水鉢
です。

確かに・・・どこから見ても、絵になる開聞岳でした。 この後、この旅のメインテーマである篤姫の生地を訪ねる、薩摩今和泉の旅に出たのでした。

2008年5月12日(月曜日) 鹿児島旅行(3日目:開聞岳と篤姫の里)

 武家屋敷を後にした我々は、一路、指宿スカイラインを北上し鹿児島市内に戻りました。鹿児島インターチェンジを出て市内に入るところにトンネルがあるのですが、そのトンネルを出ると、夕日に照らされて輝く桜島が眼前に大きく立ちはだかって見えました。あまりにも美しいので、そのまま城山に行き暮れゆく桜島を眺めて今日の旅は終わりました。
Erillのは白薩摩の湯呑み、Tarlinのは黒薩摩の茶碗です。繊細な白薩摩と、重厚ながらも暖かみのある黒薩摩。土も、焼き方も異なる陶器ですが、こういうところも薩摩焼の魅力だと思いました。
 ところで、美山は景観も素敵なところで、少し町の中を散歩してみました。その風景をいくつかご紹介いたします。

 沈寿官窯に入ると、立派な登り窯が見えてきます。この後、展示館で薩摩焼の歴史や作品を鑑賞しました。今まで薩摩焼を使った

 駐車場に車を置いて少し歩くと、明らかに日本のものとは異なる佇まいの屋根瓦が見えてきます。最近、韓国ドラマに入り浸りのErillなどは、この景色で既に色めき立っています。

荷を担いでいるように見えるからこの名がついているのでしょうか。上段から段々と落ちてくる風景が何とも言えません。

2008年5月1日(木曜日) 赤目四十八滝ハイキング