2004年5月
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2007年5月1日(火曜日) 魅惑のダリ展

 今日は、世間一般では平日ですが Tarlin の会社は創立記念日で、GWの谷間を埋めるようにねらい澄ましたかの如くお休みです。 そこで、以前より行きたかった展覧会に行くことにしました。それは、サントリーミュージアムで開催されている「ダリ展」です。 そうです ダリ です。 「ダリってだり?」 などとくだらないだ洒落を言っている場合ではありません。 って、それって私?。 あのエキセントリックな絵を描いたサルバドール・ダリです。 うーん、私的に言わせていただけば、もう既に名前がエキセントリックです。普段、本物の絵を見ることが少ないというか皆無でしたので、この展覧会は行かなければと思っていました。しかし、 Erill がなんか乗り気ではなかったので、今日まで引っ張ってしまうことになりました。 それにしても、Erill は不届きです。「ダリはちょっと・・・(- -)。 あんまり好みじゃ・・・(T T)」などとのたまうのです。私なぞは、パンフレットを見るだけでワクワクしてくるというのに・・・。 実際、会期の終盤ではありましたが、平日にもかかわらず、ミュージアムは黒山の人だかりでした。

しかし、 夕日を見ようと粘っていたのが災いして、おみやげ屋さんがどこもかしこも閉まっています。 「駅に行けばなんとかなるさ」と言って、賢島駅・鳥羽駅と行きましたが駄目です。これはやばいと思い、もう8時を回っていましたが、鳥羽の市内をかけずり回りようやく見つけた一件のお店では、「売り切れました」の悲しい一言が・・・  「伊勢と言えば赤福 しかし赤福はどこに行けば買えるの〜〜」と叫びつつ、とうとうやってきたのが宇治山田駅、もうここは伊勢神宮のお膝元です。しかも、駅舎もとても立派です。 あ・あ・ありました念願の赤福が、嬉しくて涙がでました。 嬉しさのあまり、最も大きい20個入りを買ってしまいました。 しかし、この20個を2日以内に3人で食べきらなければならない事実に気付き、再び涙しました。
 明けて翌25日、天気予報通り朝から大雨です。 恐らく10分も傘をさして歩いたりしたら、潔く傘を捨ててしまうでしょうと思えるくらい強く降っています。 ただ、本日がメインの結婚記念日で、昨日は例えて言えば単にイブに過ぎません。 そこで、メインを飾るべく、京都の美術館「えき」KYOTOで、「リサとガスパール&ペネロペ展」を鑑賞して、結婚式を挙げたホテルでディナーを食べました。 ちょうど「ドイツフード&モーゼルワインフェア」をしていたので、ドイツワインとドイツ料理のディナーとなりました。 美術館の展覧会も「ゲオルグ・ハレンスレーベン」という絵本画家の作品で、図らずもドイツづくしの1日となりました。これで、Erill が午前中だけでも、昨年からお世話になっている大学の先生のドイツ語の仕事を手伝いでもしていれば完璧なドイツデーと言えたのでしょうが、残念ながら、Erill は未だ療養中のため、それはなりませんでしたとさ。

 しかし、ただ家具屋さんを回るだけでは単なる物欲亡者なのでは(?)という意見もあり、少しは知的要素を織り交ぜようということで、国立国際美術館で開催されているベルギー王立美術館展に寄ることにしました。 この展覧会では、ベルギー王立美術館の目玉の一つと言われているピーテル・ブリューゲルの「イカロスの墜落」が出展されているのです。 どうです、とっても知的でしょ。 そして、調子にのって更に知的度合いをレベルアップさせるために、「ピーテル・ブリューゲル(父)(?)《イカロスの墜落》の真筆性の問題と主題の解釈」 と銘打った特別講演会も聴講したのでした。 講演者はブリューゲルの研究では第一人者の森洋子先生です。 講演自体は、自らがベルギーで調査された経験も踏まえたとても興味深く、美学専攻の Erill はともかく、美術史などには素人の Tarlin でも面白いと思える内容でした。 しかし、一番感動したのは、先生の 「しゃぺりっぷり」の良さでした。 午後2時に始まった講演会が終わったのは、午後4時をちょっと回ったとこでした。そうです、2時

 最近、Tarlin 家では模様替えブームです。 Tarlin母も含めて各自、銘々に物欲にかられていて、今日は、大阪まで家具を見に行くことになっていました。 

 今日は母の日ということで、たまには親孝行をするために、 Tarlin母を京都の高麗美術館に連れて行き、その後、食事をご馳走しました。もちろん、 Erill母にも贈り物を贈っております。 なんと、心洗われるお話でしょうか。 と、まぁ、そんな話は本題ではありません。 えっ、違うのっ?、って感じですが、違うのです。 では、話の本題に・・・ 
 京都駅からバスに乗って高麗美術館まで行ったのですが、その途中で、バスの運転席付近で口論が行われているのです。それも、乗客のおやじ様と運転手さんで・・・ あぶないヤン・・・。耳を澄ませて聴いていると、おやじ様が運転手さんに悪態をついているようです。どうやら、自分の行きたい場所と違う方向にバスは向かっているようです。さらに耳ダンボにして聴いていると、おやじ様のおっしゃることにゃ、「なんとか五条に行きたいだけど、このバスで行けるって言ったじゃん。」(そうです、この語尾、”じゃん”です。恐らく関東の方でしょう。運転手さんは、「堀川五条なら通りますけど。」とおっしゃります。さらに、おやじ様、「なんとか五条だけど、堀川五条ではない。 さっきから言ってるじゃん。」 すでに、おやじ様、トリップされております。京都にトリップ(旅行)に来られたのかも知れませんが、頭がトリップされてしまったみたいです。そうこうしているうちに、堀川五条を過ぎたバスは、おやじ様の思惑とは別に、京都の町を四条、三条と北上していきます。 おやじ様の苛立ちは頂点に達しているようです。Tarlin的に言わせていただければ、既に状況は悪化の一途を辿っているのだから、苛ついている暇があったらとにかくバスを降りることが先決なのではと思うのですが・・・。すると、京都の町の方でしょうか。 穏やかな京都口調で、おやじ様の行きたい場所を訊ねて、この後どうしたらいいか、丁寧に教えてあげられました。 そうしてようやくおやじ様は次の停留所で降りて行かれました。そこまでのバス代も払わずに・・・。運転手さんも、さすがです。既に点火5秒前でなんとか時間が止まっている爆弾のスイッチを更に押すような事はされませんでした。 しかし、Tarlin は思うのです。なんとか五条に行きたいという情報だけで京都人でも時折迷うと言われる京都市バスに乗って、挙げ句の果てに、目的地と更にずれてしまった地点でバスを降りて、きっと、すんなりとは目的地につけないと・・・(; ;)。まだ、堀川五条でさっさと降りていれば、復活できる見込みがあったのに・・・(T T)。 ここで、心優しい Tarlin が京都を初めて観光される方に、貴重な情報を一つ。 京都市バスに乗られた場合、「なんとか五条」に該当する停留所は、西から、中野橋五条・西大路五条・五条壬生川・大宮五条・堀川五条・五条西洞院・烏丸五条・五条高倉・河原町五条・五条京阪前・五条大和大路・五条坂とあります。「なんとか五条」に行きたいと言ってもきっとそれだけでは目的地に着くことは難しいと思われます。ちゃんと目的地を調べてから来てくださいね。

 ダリの絵をまじまじと見て、以前、NHKスペシャルで「人体 −脳−」という番組をやっていましたが、その時、養老孟司先生が「人が見ている物は同じ物であっても、見えているものは一人一人違う。それは、光の信号を映像として脳が再構成するから・・・云々」と言っていたのを思い出し、きっとダリは普通の人とは見え方が違ったんだなぁと思ったりしました。 また、妄想を抑制する物質が先天的に少ないと、古い遺伝子の記憶にある不思議な世界が沁みだしてくる人がいるとも言っていましたが、ダリもその一人だったのかもしれません。 確かに、純粋に美しい絵画ではありませんでしたが、一枚一枚の絵に込められた心の叫びや問いかけを感じた一時でした。 果たして、最初乗り気ではなかった Erill はダリの魅力を感じることが出来たのでしょうか。 きっと感じたはず・・・

 上司の方が土曜日から月曜日まで沖縄は石垣島で釣りをされてきて、その際の釣果のおこぼれにあずかりに、定時になると速攻で会社を抜け出して、上司のお宅のある最寄り駅で Erill と待ち合わせをして参りました。食卓は、 鮪の刺身、鰹のタタキ、鮪と鰹のずけ丼風寿司、鮪のカマ焼き、鮪のカルパッチョ、鮪ステーキ・・・ と出るは出るはの、新鮮な鮪と鰹のオンパレードでした。石垣島の写真も見せていただき、楽しいおしゃべりとともに、7時から始まった宴はあっという間に10時を回ってしまいました。
 しかし、今月は、いろいろとパーティの多い月でしたが、やはり楽しいものですね。

 パッパカ・パーン 当たりました。 ハマコーの講演会の入場整理券が・・・  実は、けいはんなプラザに、あのハマコー先生が来られて講演をしてくださるというので、その情報を得た我々は、「聴きに行かねばなるまぁぁぁぁぁいっ。」と早速、往復葉書を調達して、「お願い、当たりますように。パンパン」と柏手まで打って応募していたのでした。 そして今日、「来てね」というハマコー先生からの招待状が届きました。

 不幸にも、GW後半戦のビッグイベントとも言うべき5月5日の子供の日に若狭出張という悲しい現実を抱えている Tarlin ですが、本日は、高校時代の友人、イト君が訪ねて来てくれました。 そうです、Tarlin にもちょっと昔に高校時代があったのです。 えっと・・・ もしかすると遥か昔かもしれません。まぁ、細かい話はさておき、久しぶりの友人を招いてのホームパーティは楽しいもので、あっという間に時間が過ぎていきました。 結構、この歳になると、昔の友達とかに無性に会いたくなったりします。イト君との会話も、自然と「○○君はどうしてるかなぁ」と言ったようなものになりました。 悲しいかな、Tarlin の高校時代は、無頼漢の集まる男子クラス。「男暗」、あっ、いえ「男クラ」と呼ばれていました。それ故、同窓会をやろうと言い出す物好きもなく今に至っています。なんか、周りの人が高校時代の同窓会に行ってきたみたいな話をしていると、とても羨ましくなったりします。 このGWは、4月28日に姉一家とパーティをし、今日もパーティと、遠出もせず、地味に過ごしたGWでした。

2007年5月29日(火曜日) 鮪づくし、鰹づくし

 Erill と Tarlin も結婚して、ようやくというか遂にというか5年目となりました。 昨年は、Tarlinの舞鶴単身赴任や、何よりも仕事が忙しく、何も出来なかったので、今年は、GWに悲しく出勤した振替休暇を5月24日・25日にセッティングして計画を練っていました。ところが、24日は天気が好いものの25日は今ひとつ(・・・といか、実際には土砂降り T T)という予報だった為に、とにかく24日はどこかに行こうということで、伊勢志摩方面に日帰り旅行をしました。
 Tarlinは、仕事の関係で出張先にて美しい海を見ることが多いのですが、Erill は3月にモルディブに行って以来の海(大阪湾除く)です。 海が懐かしかったのでしょうか、しばし、見入っていました。

2007年5月25日(金曜日) 5th Anniversary

2007年5月20日(日曜日) 掲示板リニューアル

 4月29日に報告しましたように掲示板に「あらし」がやってきて、その後、「あらしが去ったかなぁー」と様子を見ていましたが、去る様子もないので、セキュリティ対策を取れない、これまで使用していた掲示板は閉鎖して、新たに掲示板をオープンしました。 画像をアップすることもできるようになりましたので、旅先で撮った写真なども是非投稿して下さいね。 

 もう、夜も遅いので少しだけ・・・ 最近、この diary もずっと Tarlin が書いているわけですが、それは、Erill が腱鞘炎を患い、ふと、気がつくと、手根管症候群なるものに発展してしまい、医者様から、「絶対・安静」を命じられており、パソコンからも遠ざかっているからです。 もしかして Erill がお亡くなりになったのではと心配してくださる読者の方もおられ、本日、「Erill さん。大丈夫?」との一通の葉書が届きました。 Erill は両手を除いては、益々意気軒昂であります。 しかし、心優しい葉書を頂き、感謝、感激、雨あられ で、涙しております。 Erill になりかわり、保護者として御礼申し上げる次第であります。 ペコリ。 

2007年5月16日(水曜日) Erill 感涙

2007年5月13日(日曜日) 母の日に見た人間模様

しかも、二人とも行くことができるのです。 ハマコー先生と言えば、今や、ちょっと政治の入ったバラエティ番組で引っ張りだこ、「当たっても、いいとこ一人だけかな。 その時は、どっちが行くのかな・・・」と静かなバトルが繰り広げられてはいたのですが、なんと、強運なことに2枚の入場整理券が送られてきたのです。 わーい。 ・・・あとで分かったことですが、実は先着順だったそうな。

2007年5月12日(土曜日) ハマコーあたる

間にわたり、用意された水に口を付けることもなく、ノンストップで速射砲のように言葉を繰り出される先生。 ラジオのアナウンサーでもあれほど立て続けにはしゃべれないのでは? と思わせてくれるような、聴いているこちらが喉の渇きを覚えるような、それは見事なしゃべりっぷりでした。 うーん、確かに大学の先生は、Tarlin のある恩師もそうでしたが、「しゃべり出したら止まらない」という点がありました。 そういえば、我々の結婚式のときにも、Erill のある恩師が、飛び入りでスピーチしてくださったり・・・ きっと、しゃべるのが本質的に好きな方が多いのでしょうね。 ちなみに、美術館のレストランでは、展覧会開催期間限定でベルギー料理を食べることもでき、美味しいベルギービールを飲めますよ。 興味のある方は是非どうぞ。  

2007年5月19日(土曜日) しゃべり出したら止まらない?

2007年5月4日(金曜日) 朋遠方より来たるあり

 さて、本来であれば、英虞湾に沈む夕日も見たくて、「西山慕情ヶ丘」という夕日スポットでスタンバッテいたのですが、何分、天気は一気の下り坂、日没に近づくにつれてだんだんと西の空に雲が沸き立ち、夕日に照らされた英虞湾は次回へのお預けとなってしまいました。 実は、それから一騒動が・・・ そうです、我々は伊勢に来ているのです、「伊勢」 伊勢と言えば赤福餅」、「赤福餅と言えば伊勢」と言うぐらいに(本当か?) 伊勢に来て赤福をお土産に持って帰らないことは重罪と言えます。