2004年5月
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2005年8月18日(金) Erill、発表会の曲を決める

 Tarlin舞鶴単身赴任のため、Erill、毎週月曜から水曜は舞鶴、木曜から日曜は京都府南部の家、という二重生活が続いています。今月はそれに加えて、10日から17日まで徳島の実家にErillだけ戻り、いろいろとお手伝い。日々の炊事洗濯に加えて、お盆期間は毎日、弟の阿波踊りの浴衣の洗濯。結構へたばりました(^^;;;。
 移動続きの生活も、最初は変化があって面白かったのですが、さすがにちょっと疲れてきました。まとまった時間がなかなかとれず、何事も落ち着いて出来ないのが難点。そう、ホームページの更新も・・・と、言い訳にしてしまってはいけませんね(^^;;;

 何かと滞りがちの生活ですが、Erillの心の癒し、月2回のピアノのレッスンは、先生に日を合わせて頂いて、続けています。12月には発表会があるとかで、シベリウスの「樅の木」という曲に決定しました。シベリウスのピアノ曲は、オーケストラ曲に比べてあまり知られていませんが、前半の素朴ながらも洒落た、哀愁を帯びた旋律、後半の畳みかけるようなアルペジオ(分散和音)が印象的な、美しい小品。フィンランドでは広く愛されているとか。日本でも、ピアノ愛好者や北欧音楽好きの間で、秘かな人気があります。
 この曲、いつかは弾きたいと思っていたものの、先月、先生から奨められた時に、後半の猛スピードのアルペジオの連続に恐れをなしたところ、先生が、「そこは意外に弾きやすいですよ。」と、少しゆっくり目の速度で見本を見せて下さいます。「やってみて下さい、ほら、簡単でしょう」とも。そんな、簡単って、急には出来ません(-_-;。
 完全に引いてしまったErill、同じフィンランドの作曲家で、舘野泉さんのCDで気に入ったパルムグレンの「粉雪」という曲はどうかとお伺いを立てると、「綺麗だけど、始めから終わりまで一本調子で、ちょっと単調ですね。この曲なら2曲やってもらわないと。『樅の木』なら1曲でいいですよ。」と、なかなか手強い選択肢(-_-;;;;。悩みながら、家に帰って「樅の木」を弾いてみました。家で落ち着いて弾いてみると、くだんのアルペジオの連続も、ややこしいながら、確かに思ったよりは易しそうで、何とかなりそう。「樅の木」なら一曲でいいそうだし、「樅の木」に挑戦することにしました。しかし・・・
 次のレッスンで先生に「樅の木」にする、と伝えたところ、「改めて見ると、この曲、3ページしかないですね。もう一曲要りますね。」 ええっ??? 先生、「樅の木」なら、一曲でいいって言ったやん(@_@) まあ、先生のお言葉には従うしかないので、先手をうって、やはり舘野さんのCDに入っていたパルムグレンの「星はまたたく」という曲を選んで、楽譜のコピーを、次のレッスンの前に先生の郵便受けに投函(ご近所なのです)。見開き2ページで短いし、3曲から成る組曲の1曲目なので、始まりという感じがして、頭に置くと座りが良さそう。それに、作曲家は違うけど、何となく調性の相性が良さそう。曲想からみると、樅の木「フィンランドの澄んだ星空→その下に佇む樅の木」と、情景がすんなり繋がる。でも、先生はどう思われるかな、と思っていたら、先日のレッスンで、「『星はまたたく』、『樅の木』と相性良さそうですね。音も綺麗だし、これにしましょう」ということで、決定'(^^)♪ ほっとしました。
 2曲練習は大変だし、二重生活でピアノを弾ける日は半分くらいなので、仕上げられるか心配ですが、なんとか間に合わせたいと思います。正直、本番では緊張で砕けそうですが(^^;;;、大好きな北欧の、自分で選んだ曲を弾けるのも嬉しい。練習していると、旅で出会ったフィンランドの風景、人々の顔が浮かんできて、胸がいっぱいになります。ああ、また行きたい・・・ しばらくは、鍵盤の上で旅が出来そうです。

2005年8月25日(金)  Tarlin の終戦記念日

 この日記を書いている今日は、本当は8月27日(日曜日)です。 ですが、タイトルにあるように記念日なので、8月25日(金曜日)付けの日記にします。 で、何が終戦なのかというと、これまで福井市・東舞鶴に居を構えて、一応(Erill が転がり込むことが多いので・・・)、単身赴任して、日夜、忙しい日々を送っておりましたが、その業務が8月25日にめでたく納期を迎えたのです。8月に入ってからは、全く休みもなく、リゲインを飲みながら昔のリゲインのコマーシャル(24時間闘うジャパニーズ・ビジネスマン)を地でいっていました。最後の1週間は、合計で10時間寝たでしょうか。 こうなるとリゲインでは頼りないので、ユンケルローヤルD(1本1000円也)を飲んで身体を支えていました。 そして、そんな生活にも漸く一つの終わりが訪れたのが、この8月25日なのです。
 では、Tarlin は京都に戻ってくるのか? というと、 そうではありません。 (;_;) 製品を納めたとはいえ、やり残していることがあるので、お客様が本格使用するまでの間、調整をし続けなければならいのです。 つまり舞鶴で抑留生活となるのです。 うーん、太平洋戦争の終戦後、シベリア抑留者の引き揚げ地であった舞鶴で抑留生活を送る Tarlin。 これも何かの縁なのでしょうか・・・  まぁ、何はともあれ、少しは余裕もできる(はず)ので、これまで、「欲しがりません勝つまでは」で我慢していた旅行や演奏会に行って、人生の洗濯でもしたいものです。