2006年1月1日(日) 陽あたり 

 あけましておめでとうございます。 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 さて、大晦日は紅白歌合戦のゴリエちゃんで盛り上がった余韻も醒めやらぬ内に、今日は、京都へ戻りました。途中、「あれは、富士山? でも、こんな所からは富士山なんて 見えないはず それに、形がすこしいびつ・・・」 当たり前です。富士山が見えるわけはありません。でも、少し斜に構えて見ると、ちょっとした富士山気分にしてくれる山がありました。 それは、伊吹山です。 新年早々、厳かなお姿ありがとう。

 しかし、京都に近づくにつれて、なんか、Tarlin は気分が悪くなってきました。 ふと Erill を見ると、すでにぐったりしています。 「えっ、なんか悪いものでも食べた?」 でも、思い当たりません。 「Erill よ、いかがしたのじゃ」 と問いかけると、 なんと、「眩しくて、気分悪い」とのたまうではありませんか。 そうなのです。 11月以来、陽の差すことがほとんど無かった福井で生活してきて、南下するに従って激烈になる太陽の光に酔ってしまったようなのです。 その証拠に高速道路のトンネルに入ると、ホッとするのです。閉所恐怖症のTarlinです。トンネルが好きなはずがありません。その Tarlin が「トンネルよいつまでも続け」と唱えつつ走っているのです。 もう、間違いありません。これは、陽・あ・た・り です。 こんな病名・・・というか、言葉が存在するのかどうかすら知りませんが、まさしく陽にあたってしまったのです。吐きそうになる気分を抑えて、這々の体で京都に到着したのでした。 信じられないあなた・・・ 一度、福井で冬を越して実感してみてください。

2006年1月7日(土) 雪の永平寺 

三が日を京都で過ごし、4日に福井に戻って来ました。Tarlinは2日間だけお仕事の後、ありがたき3連休です。福井で過ごす最後の土日。今回は、Erillが冬の北陸でずっと雪景色を見たかった場所、永平寺と兼六園を訪ねることにしました。折しも天気予報では、大雪の予報。雪の風景を見るには、またとない機会です。(完全に生活者モードから旅行者モードになっています(汗))。
 まずは初詣を兼ねて…と、初詣は2日に奈良は吉野神宮に参ったのですが、初詣寺院編ということで、雪の永平寺を訪ねました。

 白地に青の下線の車体に、前面の黄色のアクセントが可愛らしいえちぜん鉄道に乗り込んで、勝山方面へ向かいます。山間部に近づくにつれて、民家の屋根に積む雪もぼったりと厚くなり、雪下ろしをする姿を見るのも怖いほどです… (やはり微妙に生活者モードです)。
 永平寺口駅からバスに乗り換えて、山門前で降りると、厳かな杉木立の下を山門への白い道が続いています。春や秋とは違う、厳しい閑静さが漂っています。
 通用門(山門はご住職と入山・下山時の雲水しか通ることを許されません)をくぐると、夏季であれば庭を通って参拝受付のある吉祥閣に行くところが、通用門に通じる回廊から直に吉祥閣の受付に通されました。建物の中から庭を眺めて納得…年末に訪れた越前大野と同じく、庭は人の背丈ほどの雪で埋め尽くされているのでありました…
 回廊やお堂の柱廊部からは、雪のない季節には山懐の深い緑に包まれた庭と壮大な境内の建物が飛び込んでくるところ、今は開口部という開口部はぶ厚いビニールの雪囲いで閉ざされています。境内の

最高所にある法堂からは、いつもなら伽藍の全容が望めるのですが、今はそれも雪囲いに遮られ、眺めることが出来ません。堂内では、大きな行事が近いのか、修行僧が経典の巻物を書見台のようなものに載せ、何度も運び方を練習しています。背筋を真っ直ぐに保ち、頭頂からつま先までぴんと張りつめ、腕や手先の動きから足運びまで厳格な型に乗っ取った所作からは、厳しい季節のさ中、凛とした美しさがひときわ立っていました。
 春から秋には観光客で賑やかな境内も今は閑散とし、回廊を急ぎ過ぎる雲水の草履の上の素足が、ひときわ寒そうに見えます。何人かの雲水は庭で深い雪を掻き分け、人一人が通れれる幅の通路を作るのに奮闘していました。これもこの寺では大切な修行であろうと思うと、道元の説いた教えの深さが思われます。寺を出る時、記念に道元の伝記と、『正法目蔵随聞記』を買ってしまいました。次に来るときは今よりも少しは道元のことを知っていたいものです。
 通用門を出て改めて山門を見に行くと、山門への石段は雪ですっかり埋もれ、見る影もありません。1月から3月にかけては、入山を望む人々がこの石段を上って山門を叩く季節。雲水達は、これから新しい仲間を迎えるための雪掻きにも追われるのでしょう。凛とした禅の心が、しんしんと降り積もった雪でいっそう研ぎ澄まされたような名刹の佇まいでした。

2006年1月9日(月) 雪の金沢 

 降りしきりる雪の合間を縫って、雪掻きにいそしんだ8日日曜日。翌9日月曜日は、うって変わって朝から穏やかな青空が覗いています。福井滞在も今週限りの我々、雪の北陸を見尽くそうと、7日の永平寺に続いて、金沢は兼六園に出かけました。金沢から福井までは普通電車で一時間半。

立派な日帰り小旅行です。
 駅からはバスで兼六園へ。朝10時半、兼六園はまだ人も少なく、池に張った氷が徽軫(ことじ)灯籠に凛とした趣きを添えています。昨夜のうちに降った雪が松の枝の緑の上で清く輝き、、背の高い雪吊りが、幾星霜を経て枝を張った松の風格をさらに立派に引き立てます。空の青、雪の白、松の緑、そして雪吊りの大きな錐線。冬の兼六園は、晴れやかに端麗に彩られていました。
 兼六園に隣接する伝統産業工芸館

で、加賀百万石の都の工芸の、何もか揃う充実ぶりと京の都にまさるとも劣らぬ高水準に驚いた後、坂下の加賀料理屋で昼食を取り、金沢城を抜けて、香林坊の通りを横切り、長町の武家屋敷に向かいました。旧藩士の屋敷が残る長町は、土塀に沿って流れる大野庄用水の澄んだ水音が心地よく響きます。雪から土塀を守るこも掛け

が、土塀の温かい色をいっそう温く見せていました。途中、たまたま見つけた生麩を使った甘味を出す店で一服。香林坊に出てバスを拾い、近江市場の手前で降りました。祝日で市が立たず閑散としている近江市場を通り抜け、古い商家の並ぶ尾張町を素通りし、浅野川の畔の主計茶屋町のひっそりした町並みを散策。少し足を伸ばし、ひがし茶屋町を歩くと、夕なずむ通りに三味線の音がこぼれていました。
 ここで、Tarlinに憑依光臨する物が…国内の金箔のほとんどが作られる金沢。金箔屋さんの看板が飛び込んでき
たのです(-_-;。お店には、料理に散らす金箔やアクセサリーの他、金箔を散らした金平糖、底に金箔を沈めたグラスなど、珍しい商品が並んでいます。中庭には、内も外も一面に金箔を張り巡らした「金の蔵」まで建っていました。金閣寺もそうですが、金箔特有の華やかながらも渋く落ち着いた輝きでした。店を出る時、Tarlin、金箔グラスをしっかり手にしておりました(-_-;。
 こうして、Erllのお目当て、雪の兼六園に始まった冬の金沢散策は、Tarlinのお目当て、金沢箔で幕を閉じたのでした。 駅に向かうバスの窓から、夕日に照らされた卯辰山と川縁の家並みに金沢の風情を感じながら、帰路に向かうのでありました。

2006年1月11日(水) プロバイダ変更 そして物欲の罠 

 1月9日に、公開しているホームページのプロバイダを eonet から biglobe に変更しました。 eonet は基本料金はお安いものの、家族のメールアドレスを追加したり、ホームページの容量を増やしたりすると、どんどんオプショナル料金が加算されていきます。 特にホームページの容量アップ料金はお高く、基本の20MBを越えると、5MB毎に210円ずつ、毎月の負担が増えます。biglobe では、100MBまで無料ですから、仮にホームページの容量が100MBに達したとすると、biglobeでは特に費用が不要なのに対して、eonet では、それだけで、毎月3360円の追加料金が必要になってしまいます。ということで、これまでも、出来るだけ容量を増やすまいと、写真のサイズを小さくしてきたりして、やりくりしていました。 しかし、いくら節約しても、増えることには変わりありません。 まるで、タクシーに乗っている気分・・・ そこで、いつリストラされるとも分からぬ宮仕えの身、ここは質素倹約を図らねばと、慣れ親しんだ eonet から思い切ってプロバイダを変えることにしました。 
 ところで、biglobe には、独自ドメインサービスがあって、自分でサーバを立てなくても独自ドメインを持てるサービスを行っていました。 最初は、「ふーん」と思っていましたが、ドメイン検索に興味本位で、「sunmoon」と入れてみると、jpドメインは利用中で、「sunmoonstar」 というドメインでは、他のドメインは埋まっているのですが、jpドメインだけが空いていました。ここで、他にも色々と空いていれば、そのまま通り過ごしたのでしょうが、一つだけ残っていたと言うことが不幸でした。 そうです。人なら誰でも心がくすぐられる瞬間です。Tarlin もくすぐられました。 即、申し込み。 実行あるのみです。 しかし、そのために、月1200円程度の費用が維持手数料として発生した瞬間でした。 なかなか複雑な心境というか、してやられたというのでしょうか。 まぁ、これで URL も覚えやすくなったことだし、なんといっても最後の一つを掴んだ満足感に酔いしれたのでした。 Erill 曰く、「年間・・・いくら。。。」 うるっさい〜〜。 言うな。

今後とも、「太陽の南・月の北」をどうぞよろしくお願いいたします。

 12月から降り続いた雪も、今週は小休止。今朝は曇り空の合間に、穏やかな水色の空が覗いています。今日は福井最後の日。4月から1月までの9ヶ月、1年には少し足りませんが、雪の白山の輝く春から緑爽やかな夏、山の紅葉の鮮やかな秋、雪の厳しい冬と、北陸の四季を体験できました。厳しくも豊かな自然に育まれた美味しい水と食べ物。料理はもちろん、民家建築や生活文化生にも、風土に培われた洗練がありました。
 名残は尽きませんが、別れの日は変えられません。仮住まいなので、荷造りは一日で何とか済みました。冬の福井は往々にして雪で車による輸送は予定が立たないと聞きましたが、天気の巡りに助けられ、無事に荷物を出すことが出来ました。

2006年1月13日(金) さようなら 福井 

 掃除を済ませ、いよいよ部屋を出る時、グラスに差した越前水仙を窓辺に置いてみました。福井を去る前に見所は隈無く見て廻ろうと、年末に寄った越前海岸で買った水仙です。例年なら正月の頃に満開の水仙畑も、今年は寒波と雪で半数以上が傷み、ちらほらと蕾が見られる程度。道ばたでは地元のおばちゃんが水仙をよく売っているそうですが、今年はそれも見かけず、ようやく見つけたスタンドの水仙の束は、ほとんどが蕾。それでも、部屋で生けていると、一週間もしないうちに一輪、また一輪花開き、正月明けには満開になりました。せっかく咲き誇っている

のに、捨てるには忍びありません。暮らすのは今日が最後ですが、最終引き渡しのため、来週もう一度アパートを訪れます。こうして日当たりのいい所に置いておけば、その時まで咲いていてくれるでしょうか。
 こうして、夕方近く、一年近く住んだ住まいを出ました。夏の間は心地よい緑がそよいでいたアパート裏の水田も、今は一面の白い雪原。見慣れたはずの雪景色に万感の思いを感じつつ、福井を後にしたのでした。

2006年1月15日(日) こいつは、春から縁起が・・・ 

 1月15日がやってきました。 そうです。お年玉年賀葉書の抽選日です。 皆さんのお家ではいかがでしたでしょうか。 我が、 Erill & Tarlin 家 では、な・な・なんっと・・・ 3等が2本も当たっていたのです。 ほれ・・。 

 「なーーんだ。 たったの3等じゃん。」 なんて、あざ笑っているあなた。 我が家の全ての年賀状150通そこそこの中から、5000分の1の期待値の壁を突き破って、2本も当たりが当たりが出たのですよ。 これはもう奇跡的と言えるでしょう。 (言えるのか?・・・)
 まぁ、何はともあれ、春から縁起が良いではありませぬか。 そういえば、初詣で Erill がひいたおみくじも、かつて無いほど素晴らしい内容でした。

      する事なすことの幸いの種となって 心配事なく嬉しい運ですから 
                わき目ふらず一心に自分の仕事大事とはげみなさい・・・ 云々

まさしく、みくじ通りです (^ ^)v ただ、少し不安なのは、2本とも Erill に来た年賀状ではなかったということだけです。 (- -);

2006年1月20日(金) 福井 最後の晩餐 

2006年1月21日(土) 竹人形の里と一乗谷 

 福井から引き上げて一週間、不動産屋さんにアパートを引き渡すため、再び福井を訪れました。途中、京都から滋賀へ抜けると、琵琶湖の向こうに比良の山並みが細い白い線となって浮かんでいます。福井に入り、今庄の「おばちゃんの店」で少し早めの昼食。京都ではおそらく食べることのない越前おろし蕎麦。10割田舎蕎麦のしっかりした歯ごたえと濃厚な風味を堪能して後、11時過ぎに福井のアパートに入りました。残っていた荷物を車に積み込み、一時頃、不動産屋の立ち会い検査。さしたる問題もなく、無事に無罪放免となりました。
 一年間親しんだ風景に最後の別れを惜しみながら、市内のホテルに入り、部屋でしばし休んで一働きした疲れをとった後、えちぜん鉄道で三国町へ繰り出しました。三国町は、日本海に面した古くからの港町。目的は、ただ一つ。福井での生活を締めくくるため、越前蟹を味わおうというのです。予約しておいた田島というお店へ。皇室にも越前ガニを献上している水産問屋の直営食堂です。予算を告げると、主人が道を挟んだ問屋から、蟹を選んで持ってきてくれました。足をいっぱいに拡げると、がっしりした主人の肩幅を余裕ではみ出す大きな蟹です。足には正真正銘の越前ガニを示す黄色いタグ、甲羅には黒い粒々がびっしり付いています。粒々の正体は寄生虫で、この数が多いものほど脱皮からの月日を重ね、身も味わいも豊かと言われます。(でも、根拠はないとの説も(^-^;) このお店では、蟹を選んで、食べ方もお好みのままに頼めます。私達は、刺身、焼き蟹、茹で蟹の3種を頼みました。お味は・・・ 一口口に入れると、柔らかくも締まった身から、芳醇な味わいが拡がり、繊細な甘みがとろけだします。あとは、ひたすら味に集中するのみ。あさましく無言で蟹をほじる己が姿をできうるかぎり脳裏から排除し、夢のような味に時を忘れた、越前最後の晩餐でした。

 ホテルで越前の名産品バイキングの朝食後、ゆっくりチェックアウト。曇り空にも、白山がその名の通り白く神々しく浮かんでいます。今日の予定は、滞在中行くことのなかった小名所巡り。まずは、越前竹人形の里を訪ねました。越前竹人形といえば、水上勉の小説。元遊女で世間の汚れにまみれながらも、芯の部分で慎みの心を失わない玉枝と、不器用ながら純粋な魂を宿す人形師喜助の、奥ゆかしくもはかない魂の絆が、心に響きます。小説中の人形の描写が美しく、ぜひ一度見てみたいと思っていました。

 関西に戻って、初の週末。Tarlinの腕時計を購入すべく、Erillもいっしょに大阪へ。かれこれ10年近く愛用してきたTarlinの腕時計。防水仕様で、一年前にパラオで潜った時は平気だったのですが、ここ最近でパッキンがヘタったのか、何と福井で雪掻きをしている最中に水が入り、そのまま止まってしまわれたのでした(;_;)。
 京都の片田舎から片道一時間半、遠路はるばる梅田に出て買い物だけ・・・というのも何ですので、Tarlinが兼ねてから見たがっていた、映画「男たちの大和−YAMATO」を見ることに。Erill、この手の映画は内容がつらく、もう一つ乗り気でなかったのですが、今回は辺見じゅんのノンフィクション小説を原作に、事実に基づいた物語が余分な感傷なく描かれ、重みのあるいい作品でした。実在の人をモデルにした様々な人物が登場しますが、臼淵大尉という人が、特に印象的。特攻作戦で死地に赴く意味を、
 「日本は進歩ということを軽んじすぎた。私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を忘れていた。 敗れて目覚める。それ以外にどうして日本は救われるか。今目覚めずしていつ救われるか。俺たちはその先導になるのだ。日本の新生にさきがけて散る、まさに本望じゃないか。」
 と語る言葉は、現在の日本社会にも行き渡っている精神主義・気分主義に警鐘を鳴らし続けているようです。生き残った少年兵が、遠路はるばる訪ねた戦死した親友の母親から投げかけられる、「お前さん、自分だけおめおめと生き残って。」(正確な台詞は失念)という残酷な言葉、赤裸々なリアリティで心に突き刺さり、涙が止まりませんでました。
 この映画は、、実際に大和から生還した人達が制作に協力しているそうです。年々薄れていく第二次大戦の記憶。もちろん実体験はありませんが、私達が子供の頃は高度経済成長が落ち着いた頃で、戦後の気分がうっすらと残り、戦争をくぐり抜けた祖母や祖父の話が、まだまだ身近だったものです。このような映画の製作されることで、戦争体験が受け継がれていくことは、きな意義があると思いました。
 映画の後は、お買い物。ヨドバシカメラで本日の目的、Tarlin腕時計を購入。ついでに写真事業から撤退が決まったコニカ・ミノルタの300m望遠レンズも、品切れになる前に思い切って購入に踏切りました。久々の都市型週末、人混みには疲れたけど、ようやく関西での生活感覚が戻ってきたようです。

2006年1月28日(土) 男たちの大和 

 竹人形の次は、一乗谷へ。一乗谷は、戦国時代に越前を治め、信長に滅ぼされた朝倉氏の拠点。一乗谷川の細い流れに沿って、ほぼ南北に延びる谷間に、朝倉氏の城、館、城下町が収まっています。一群の史跡は丁寧に発掘され、城下の町並みが復元されていました。金沢の武家屋敷街もそうでしたが、土塀に白い雪がかかる光景は、風情があります。朝倉館跡と庭園は、一面の雪の原と化し、一歩踏み出すと、太股まで埋もれてしまいそうな勢いでした

 館内はそのまま工房になっていて、職人が実際に人形を造る過程を見学できます。近寄ると、職人の方が丁寧に説明をしてくれます。圧巻は、髪の毛。鉈で竹を0.2〜0.25ミリの細さまで割くそうです。その技に驚嘆していると、割いたばかりの竹の髪を、パンフレットに貼りつけてくれました。竹人形の難しさは、人形を作る作業そのものよりも、思い描いた通りの形や線を出すために、どの種の竹のどの部分を各部に使うか、その工夫にあるそうです。熟練とともに、着想力が鍵なのですね。 工房の隣に、師田黎明さんという竹人形作家の展示室がありました。竹の線を生かした縦線と流線の流れるようなデザインは、簡素な日本美を湛えながらモダンで新鮮。人形の表情は、艶やかながら清純さに満ちており、繊細かつ深い人間性を表す美術品でした。左の写真は、お土産に買った物ですが、竹の質感とキレのようなものが和室によくマッチしていると思いませんか。

 史跡散策の後は、昨日に続いて越前おろしそばの昼餉。史跡から少し離れた利休庵という店に入りました。築130年の越前古民家の建物は、柱も梁もどっしりと風格があります。古色蒼然とした座敷で頂くそばの風味は、またひとしお。温そばと冷そばの両方を試し、冷そばの方が麺の風味が引き立つことも分かりました。食後、囲炉裏端で店の女将を交えて、近所の人と話が出来たのも、いい想い出になりました。器も越前焼きだそうで、店主の越前文化への愛着が伺えます。
 越前焼の器に出会ったところで、夕暮れまでに多少の時間があるので、司馬遼太郎『越前の道』で紹介されている越前陶芸村に寄ってみることにしました。しかし、着いたのがすでに4時前のため、一番メインの展示館である福井県陶芸館はすでに閉館。結局、古越前の実物は見ることが出来ず、文化交流会館の『越前焼展』で、現代作家で作品だけを見て帰りました。
 帰り道、鯖江でやはり『越前の道』で紹介されていた「ヨーロッパン キムラヤ」に寄って、名物の「大福あんパン」を購入。帰り道、夕食代わりにほおばると、香ばしい生地ともっちりした大福の組み合わせが絶妙でした。
 地味ながらもしっかりと伝統文化を受け継ぎ、美味なる物に恵まれた越前。折に触れて、また訪ねたいと思います。