7月に入りました。福井は梅雨前線のおかげで雨が盛んに降っています。同じ梅雨前線が南下したおかげで、水不足が深刻な四国もまずは一雨来たようです。しかし水の供給量が安定するまでダムの貯水量が回復するにはまだまだとか。必要な地域に、今後も災害が起きない程度に降りますように。
 それにしても、相変わらずの異常気象。ディスカバリーチャンネルで、一昨日気になる番組をやっていました。ディスカバリーはアメリカのドキュメンタリー専門チャンネルで、日本ではケーブルテレビで有料配信されています。福井の住まいはケーブルテレビが入っていて、CNNやディスカバリーチャンネルが見えるようになっています。ディスカバリーのドキュメンタリーは取材が綿密で切り込みも深く、テーマ性も鮮明で、これに比べるとNHKスペシャルの作りが甘く感じられます。Tarlinなどは大変な気に入りようで、NHKニュースを見ていても途中でディスカバリーに変えてしまうことがあります。
 今回、衝撃を受けたのは「温暖化の代償−未来の嵐を予想する」という番組。気象学の成果に基づき、100年後の地球の気象を予測するというものです。現在のペースで温暖化が進むと100年後には気温が6℃上昇するとされています。しかし、それが具体的にどのような現象を引き起こすのか、あまり知られされていません。漠然と気候が代わるとか、島や低い土地が海に沈むとか、日本は亜熱帯になりミカンとリンゴが栽培不可能になる、台風が大型化する、といった程度でしょうか。気象学者の間では、もっと詳しく分かっているそうです。

 雨が降る所(時期)は集中的に大雨が降り洪水に、降らない所(時期)は集中的に降らず旱魃に襲われる、ハリケーンや台風が来る地域は、大型化したこれらの熱帯低気圧に繰り返し見舞われる、氷河のある山岳地帯や寒冷地では永久凍土が溶け土砂崩れや地滑りが多発する、頻発する災害に、人々は家を修繕することもできず、食料難と水不足が起こり、経済は崩壊、難民化する人が増え、紛争や戦争につながる・・・100年後といわず、現在すでに兆候が出ているようなことばかりです。番組でコメントしていた気象学者の予測では、25年後には水不足が深刻化し大量の難民が発生、水の豊富な国へ押し寄せる可能性があるそうです。もう次世代のことではなく私たち自身の世代の問題になってきているのです。
 さらに、これらの気象異常は氷河期が訪れる前の気候変動と酷似しているそうです。地球の気温が上がり、極地の氷がある程度まで溶けると、大西洋の海流の流れが変わり、暖流が高緯度に達さず、寒冷化が始まるという説を番組は採っていました。映画「デイ・アフター・トゥモロー」の下敷きになった説です。温暖化による氷河期の急な到来は可能性の一つのようですが(現在の地球は間氷期だそう)、極端な天災の繰り返しは気象学者の間では常識だそうで、現に進行中の感です。
 恐ろしくなったErill、ネットでもう少し調べてみました。日本に関して言えば降水量は年々減少、高山植物は絶滅、世界的には生物の大絶滅時代に入り、20〜30年後にはシロクマだけでなく、海水温度の上昇で紅鮭なども絶滅するそうです。
 それにしても、これほど具体的な予測がありながら、なぜNHK始めメディアがもっと取り上げないのか?昨年のNHKスペシャル「地球大進化」の最終回で、気象大変動と人類および全生物の生存危機をとりあげ、山崎努に「ご先祖様、まいったな」と言ってもらうのにどんぴしゃな内容じゃないですか?一因として、日本の場合、米国の京都議定書調印拒否同様、石油メジャーの意向で政府が圧力をかけているとか何とか・・・ディスカバリーはなぜ踏み込めるのか?私企業でグローバルに視聴料を集めているからしがらみもないのでしょうか?
 とにかくぞっとするような情報に、重要なことほど決まったメディアに頼らず、自ら調べる必要性を改めて実感。温暖化についてはもっと勉強し、少しでも出来ることを考えたいと思います。

2005年7月3日(日) 未来の嵐 - ディスカバリーチャンネル

 雨も一段落し、朝から曇り空です。Tarlinは先週は夜勤、例によって(?)土日は休日出勤で、今週からは早朝勤務で毎朝5時から出勤。ずっと家で留守番のErill、足羽神社のHPで足羽山の紫陽花が雨で元気がよくなったと知り、たまには一人で息抜きをと、足羽山に再び紫陽花を見に行ってきました。
 足羽山の紫陽花は、雨のおかげで10日前に訪れた時より花はいっそう色鮮やかに、大きくなって

2005年7月5日(火) 足羽山の紫陽花 再び

いました。しかし、7月に入り花季も終盤なのか、茶色くなってきている花もところどころありました。紫陽花の花、あと一週間くらいでしょうか。紫陽花が終わると、梅雨明けも間近ですね。
 本日の歩行時間は2時間半。最近は雨で一日一時間歩ける日も減っていますが、一週間に一度は、これくらいまとまった距離を歩きたいものです。

 今日はTarlinの誕生日。小雨の中を、しっとり市内の和風庭園におでかけ・・・と行きたいところですが、この土日もずっとお仕事。しかし、年に一度の誕生日、夜はさすがにゆったり過ごしたいと、福井でも美味しいといわれるフランス料理店「シェ・キワノ」に出かけました。
 せっかくの誕生日なので、Erillのおごりでフルコースということになりました。。コース料理は前日予約が必要ということで、レストランに電話すると、コースの値段は5000円と7000円の二種類です。一応、主賓の希望をとTarlinに訊ねると、手でふさいだ受話器をも通るような大音響で「7000円!」・・・聞くんじゃなかった(--;、いえ、たまのお祝い、日頃の感謝をこめて喜んでご馳走致します。
 レストランは、ログハウス風のカジュアルな建物ですが、華やかな生花と自動演奏ピアノの演奏がこだわりとセンスを感じさせ、居心地のいい雰囲気です。人気のお店だけあって、カウンター席まで予約で満席。、料理はどれも美味しく、前菜が2種、スープ、魚料理、肉料理、デザート、紅茶が付いて、大阪や京都で食べると1万円はかかると思われる質と量でした。特にとろけるようにジューシーな牛フィレのステーキと、しゃりしゃりのアイスは逸品でした。Tarlinも大満足だったようで、ほっと安心。
 それにしても、食事中、Erillの気を引いたのは、自動演奏ピアノの調べ。ショパンやブラームスのワルツ、メンデルスゾーンの無言歌など、親しみやすい名曲が流れています。曲が変わるごとに「あ、これ弾きたい」「この曲ちょっと練習した。」などと言っていると、しまいにTarlinに「無視!」と言われてしまいました(^◇^;。自動演奏でも、アコースティック・ピアノは音に深みがあり、やはり違います。欲しい・・・

2005年7月9日(土) 福井のフレンチ

 福井県が由里公正筆「五箇条の御誓文」草稿を落札!のニュースに刺激されたわけではありませんが、幕末の志士「橋本左内を知っていますか?」という展示が市立郷土歴史博物館で13日まで、ということで行ってきました。Tarlinはお仕事なので、Erill一人でお出かけです。
 郷土歴史博物館は、福井市の中心部にあり、平成16年に建てられた新しい綺麗な建物です。入り口を入ってすぐ左側に、旧福井藩主越前松平家ゆかりの品を展示する「松平家史料展示室」という小さな展示室があります。「橋本左内を知っていますか?」は、ここの展示。左内幼児期に着用していた裃、左内の書簡や、松平春嶽から賜った硯箱などが、左内の生涯が分かるように、年代を追って展示されていました。特に、安政の大獄で獄中にあった左内に春嶽が慰みに賜った麝香包みが悲しく、印象的でした。
 面白かったのは、筆跡。左内のは、繊細で端正な、頭の切れる秀才らしく神経質そうな筆跡。春嶽のは、太く鷹揚な、どこか王侯風の力強い筆跡。人柄がしのばれました。
 常設展は、小さいながらも充実した展示で、縄文から昭和の空襲、福井地震まで、福井市の歴史が子供にもわかりやすく紹介されていました。目を引いたのは、やはり幕末関係で、西郷隆盛の書簡や、春嶽筆の掛け軸がありました。幕末は、福井の誇りなんですね。う〜む、これを見ると、福井県が「五箇条の御誓文」草稿を落札した意気込みも、納得の感です。
 博物館を出た後は、隣接する養浩館庭園に行ってみました。養浩館は松平家の別邸で、国の名勝に指定されています。回遊式庭園で、大きな池の畔を書院造りの建物を眺めながら歩くのは、心地よいものです。は、空襲で全焼しましたが、平成になって再建されたため、まだ新しいのですが、庭園の眺めがよく、人も少ないので、ゆったり座ってくつろいだ一時を過ごせました。
 それにしても、平成に入って市が博物館を新築し、旧藩主の書院を再建し、県が歴史上大変重要な文書を落札し・・・ 福井の文化事業の豊かさ、恐るべし!

2005年7月13日(水) 「橋本左内」展と養浩館庭園

 16日(土)から18日(月)まで、「海の日」の三連休。このところ土日出勤の多いTarlinも、さすがに今回は3日ともしっかりお休み。といっても何をするでもなく、ここ一ヶ月ほど留守にしていた京都の家に戻ってきました。
 タイミング良く、近くのホールの上映会で「オペラ座の怪人」をやっていたので、見に行きました。今年1月に公開された、作曲者のロイド・ウェーバー監修の最新版です。
 前に劇団四季の上演を見たことがありますが、さすが映画だけあり、舞台と違って場面転換が自由で、劇場の場面は豪華絢爛でカラフル、墓場の場面はモノトーンで幻想的です。19世紀後半のパリの文化の爛熟と退廃の空気があふれています。
 劇団四季上演では怪人の歌唱が素晴らしく、怪人とクリスチーヌの歌を通した魂の交感が際立ち、怪人はまるで芸術の化身のごとく俗世を超越していましたが、この映画版の怪人は、ロックンロール流にシャウトし、実に人間臭く、クリスチーヌを誘惑しまくっています(^◇^;。ロック風の歌い方で、怪人の怒りはよく伝わってきますが、反面、怪人の芸術性や悲哀は薄れてしまいました・・・ 四季版の物語は、芸術と俗の二つの世界の葛藤をテーマに、怪人は芸術の側、ラウルは俗の側、クリスチーヌはその間を行き来する・・・という風でしたが、この映画版では怪人が人間的に描かれることで3人が拮抗しています。また、映画版の怪人は人間の汚さを露わにし、怪人の住む地下宮殿(?)は都市の暗部そのもので、華やかな大都市パリの裏に潜む闇を象徴しているようです。
 怪人の意味するものと物語展開の次元が四季版の「芸術性」の高みから地上の人間界に下ったおかげで、好感度が上がったのはラウル。四季版では俗人の代表のようだったラウルが、映画版ではラウルの回想という形式で語られることもあり、ラウルは怪人の悪巧みからクリスチーヌを守ろうとする、健全な好青年という感じで、好印象。恐ろしい顔のおかげで地下生活を強いられた怪人もつらいですが、目の前で愛するクリスチーヌと怪人の心通う様を見せつけられるラウルの心痛も相当では、と思ってしまいました。
 とにかく、脚本と音楽が全く同じでも、演出でこうも変わるのか、という感じでした。豪奢な映像とクリスチーヌの柔らかく澄んだ歌声が美しく、物語に生々しい迫力があり、この映画は映画でよかったですが、やはりファルセットで朗々と歌いあげる怪人を見たいものです。

2005年7月17日(日) 映画「オペラ座の怪人」

 福井も23日土曜日にようやく梅雨明け。それに合わせたようにErillのデンマークでの友人(注:日本は大阪出身)が、福井にやって来ました。友人は今もデンマークに住んでいて、かれこれ5年ぶりの一時帰国とかで、大阪からわざわざ福井まで訪ねて来てくれたのです。
 福井の我々のもとに初めて来てくれたお客様に、Tarlinもぜひ車でどこか案内しようということになりました。待ち合わせ時間が3時過ぎなので、その時間から夕方までに行けるところ、ということで東尋坊に向かいました。
 午前中は曇っていたのですが、遠来のお客様を歓迎するかのように空も晴れ上がり、東尋坊の断崖に出ると、海もくっきりした蒼を見せています。せっかくなので、遊覧船に乗ってみることにしました。
 

2005年7月24日(日) 在デンマークの友人来る

2005年7月18日(月) Erill の酷評にもの申す

 全国の、映画「オペラ座の怪人」ファンの皆様。
 昨日の日記では、我がErillがとんでもない酷評を、のうのうと垂れてしまいまして、心よりお詫び申し上げます。しかし、ご安心を・・・ 私こと、Tarlin(Erill夫)は、心の底から感動を覚えました。 その証拠に、あの感動を再び呼び起こすべく昨日に引き続き本日も鑑賞に参りました。(Erill ものこのことついてきましたが (- -); ・・・)

 何と言っても、映像と音楽が織りなす美が素敵でした。特にクリスティーヌのお父さんが眠る墓地でのシーンは素晴らしいものがありました。クリスティーヌと怪人の歌の掛け合いでは、怪人の歌声という媚薬にしびれるようなクリスティーヌの心情が場面の緊張感の中にも甘美なものを感じさせてくれました。怪人の歌声についても、確かに荘厳なオペラ調でなかったのは確かですが、少し哀愁を帯びた声には、怪人の苦悩がエッセンスとして凝縮され、聴くものの心を動かすものがあったと思います。特に、怪人が作ったオペラ「ドン・ファンの勝利」で、怪人がドン・ファンとなってクリスティーヌと演じる場面は、赤と黒とを基調とした色彩の中で、怪人の苦しみが朗々と歌われているように感じました。
 まぁ、こういう感じ方をするのも、男性と女性の違いに因るものなのかもしれません。もちろん、劇団四季による劇場版のオペラ座の怪人も素晴らしかったですが、映画で観た「オペラ座の怪人」ここには、人の生きる力や、苦悩、快楽などがちりばめられていて、それが映像と音楽の一体感とともに高揚感を醸し出してくれたのでしょう。
 ということで、全国の(どこの?)映画「オペラ座の怪人」ファンの皆様、これで溜飲をおろして頂ければ幸いに存じます。 m(_ _)m

 下から見上げた東尋坊は、柱状節理の壁がそそり立つようで、上から見るのとはまた違った迫力です。舟は、断崖の上からは右手に見えていた雄島も周り、途中、松林の続く断崖も見え、なかなか変化に富んでいました。
 友人は、何と日本の夏は7年目ぶりとのこと。日本の海を見るのも同じくらい久しいとかで、喜んでもらえたようでした。

2005年7月30日(土) いざ、東尋坊へ(また?)

 今日は、Tarlinが夜勤明け。 朝8時頃にお家に戻ってきました。 明日は、朝からの通常の勤務なので、いつものように「では、お休みなさい」という訳にはいきません。 万が一にも、そのまま爆睡してみようものなら、夜に眠れなくなって、明日の勤務は地獄の睡魔君が「おねむりよう〜」と囁きかけて来るでしょう。 というわけで、少しだけ仮眠をとった後、どこかへちょっとドライブしようと言うことになりました。「どこへ行こう?」というと、Erill は越前海岸を所望してきました。「夏は、やっぱり海よねっ!!」とでも言うことなのでしょう。そこで、一路越前海岸へ向けて車を走らせて、越廼町まで行きました。すると、なんとErillは、「東尋坊は近いのかの?」とか言い出すではありませんか。「えっ、先週、行ったばかりじゃん」と言うと。「雄島に行きたい。」とのたまいます。そうです、先週、デンマークからお客人が来て、東尋坊に案内して遊覧船に乗った際に観た雄島の雄姿を間近から感じてみたいようです。一度言い出すと聞かないErillですので、まぁ、これで家庭サービスをしたことになればお安いものと、また車を東尋坊方面に向かって走らせました。
 ただ、一つだけ気がかりがありました。それは以前TVで見た雄島の幽霊話でした。民話の研究などで幽霊話などはお手のもの(?)のErillとは違い、根っからの技術者のTarlinは、はっきり言って幽霊とかが怖いです。人は、「技術者なのに・・・」とか勝手な事を言いますが、Tarlin に言わせれば「技術者だからこそ」怖いのです。 得体の知れないからこそ怖いのです。 「リング」などのホラー映画はそこそこ好きなのですが、それも「怖いもの見たさ」に過ぎません。決して自分から現場に行きたいとは思いません。はっきり言って幽霊さんとはお近づきにはなりたくないのです。 まぁ、外から少し見るくらいならいいかという気持ちで車を進めました。
 

 雄島には、本州側にある駐車場に車を停めて、赤い長い橋を渡って行かなければなりません。行く手には、長い橋がかかっていて、その先に雄島がおどろおどろしく黒い島影を横たわらせています。・・・かなり偏見に満ちた先入観ですな。
 して、橋を渡って行ったわけですが、無人島にこんな立派な橋を架けるところが、何かいわくありげです。
 

 橋を渡りきって、「あぁ、何もなくて良かった。」と思っていると、Erillが何を血迷ったか、ずんずんと先に進んで、鳥居を超えて、杜の中に踏み入ろうとしているではありませんか。・・・マジ?。 怖いもの知らずというのはこのことです。「このままでは、血を見ることになるのでは?」という危惧を抱きながら、Erillを追いかけて行きました。 杜の中は鬱蒼としていましたが、その先は、海に向かってまるで賽の河原のような荒涼とした風景が広がっていました。

 人っ子一人いませんし、なんか背中がむずむずしてきたので、Erill をせかして、戻ることにしました。やっと、元来た場所が見えてきてほっとした瞬間、驚きの事実が・・・ なんと、腕にヤブ蚊が7匹くらいとまって気持ちよさげに、お血を吸ってらっしゃるのです。 さらに驚いたことには、腕を振っても吸血行為をやめないのです。 「こいつらは特攻蚊?」と思い、片っ端からつぶしまくりました。闘いが終わったあと、そこには血だらけになったTarlin(Erillも)の腕が残されていました。

 最後は逃げるようにして、階段を駆け下ってトイレで血まみれになった腕を洗いました。初めての雄島。運良く何もありませんでしたが、やはり少しだけ血をみることになってしまいました。 雄島観島紀については、いつかまとめてUpしたいと思っていますので、ご期待下さい。

 風景の後は、食。日本食を食べに戻ったという友人に、ならば日本海の海産物を、と、市内の炉端焼き屋で夕餉の卓を囲み、近況やら、最近のデンマークの様子やら、いろいろな話に花が咲いたのでした。夜も更けお開きとなった時、デンマークからのお土産に北欧地酒のじゃが芋焼酎アクアヴィットとチーズを三種類も頂いてしまいました。懐かしい友に、懐かしの味。いつになっても、いいものです。