五月になりました。福井の住居の周りでは田植えが始まり、か細い苗が水田に揺れています。それにしても、相変わらずGW返上で毎日仕事のTarlinと、風邪をひきずっているErill。けだるい月初めです。
 今月の壁紙は、いつもこの日記ページの壁紙でお世話になっている【柚莉湖♪風と樹と空と♪】より、ハナミズキです。福井の住まいの敷地では、この壁紙のようなピンクの可憐なハナミズキが満開になっています。関西では今年は4月の中旬から開いていたので、やはりこちらは10日前後は季節が遅いのですね。
 白に比べて華やかなピンクのハナミズキ、京都のTarlin & Erill宅の庭にも一本植えてあります。春にはこの福井のハナミズキのように、枝いっぱいに花をつけるはず・・・なのですが、今年はどういうわけか7,8輪しか花が咲いていません。これは、4月23日に京都を発つときの状況なので、今頃はもう少し開花し10輪程度(?)は咲いている(あるいは、咲き終わっている?)かもしれませんが、開花状況は例年あまり芳しくなく、昨年も花はまばら、一昨年はかなり咲いたものの、その前の年もほとんど花をつけていない有様。あまりの花つきの悪さに、Tarlin母様いわく、通りかかった近くの人から「お宅のハナミズキは、何なの?」と笑われたとか、なかったとか(それもひどい話です)。
 いったいこの体たらくは何?と怒り浸透気味であったTarlin母様、今を遡ること数ヶ月前、まだ冬の最中にしてハナミズキの花芽がほとんどついていないと分かった時点で、怒りはついに浸透し、苗木を買った植木屋に抗議の電話をかけました。そして、返ってきた答えは、「ハナミズキと山帽子は、花つきが悪いとの苦情が多いんです。年によって違うんで様子を見て下さい。」
 しかし、引っ越してきた年数は我が家より浅く、日当たりもほとんど同程度、そして一人暮らしの主人が自然に生長に任せている様子の隣家のハナミズキは、毎年枝もたわわにピンクの花をつけているではありませんか。この差は、いったい何なのでしょうか!?そもそもハナミズキは苦情が多いって、もしかして、そこの苗木が悪いんでは?と勘ぐってしまいます。それにうちのハナミズキ、年によって花つきが違うといっても、これまでに沢山花をつけたのは、たった一度一昨年だけだったとか・・・うーむ、一体どうやったら花つきがよくなるのでしょう。
 庭木の苗を買うときは、植木屋さんを選びましょう、というお話でした。

2005年5月1日(日) 粗悪なハナミズキ

 連休に入り(我が家は通常生活ですが)、五月晴れの暖かい日が続いています。Erillの風邪も今朝はやっと強烈な喉の痛みがとれ、回復間近の兆しです。体調がよいと気分もよいもの。久々に布団をベランダに干しました。
 福井の住まいは、東向き。Erill、なぜか生まれてこのかた東向きと縁があるようで、徳島の両親宅も東向き、京都の家は南東向き、どの家も午後3時を過ぎると正面から日が当たらなくなってしまいます・・・ 今回住んでいる福井のマンションは完全に真東に向いているので、正午には取り入れようとベランダに出ました。が、布団を見てびっくり。日光で消毒されたはずの布団に、小さな黒いうんかのような羽虫がいっぱいたかっているではありませんか。びっくり仰天でうんか(?)を払いながら、慌てて布団を部屋に入れました。何でこんなものがわくんだろうと不思議に思いながら。
 謎は夕方、買い物に出かけた時にとけました。スーパーまで右手に新緑の萌える足羽山を眺めながら、水田沿いの道を歩くのは、季節感あふれる散歩ルートです。ちょうど田植えの最中の所もあり、一見は家族3人で植えています。京都や奈良、そして徳島でも機械植えのが多いのですが、福井のこのあたりでは手で植えていることが多く、昔懐かしいのどかな光景です。
 しかし、ここで発見が。水田と道の間を流れる用水路に、昼間ベランダで布団についていたのと同じ羽虫が飛び回っています。改めてみると福井の住まいのマンションは、田んぼの真ん中に屹立(?)しています。うーむ、どうやら水田に発生する羽虫が、布団にまとわっていたということのようです。Erill、徳島の両親宅は田舎とはいえ、杉林とみかん畑の麓で水田は遠いので、初めての経験です(そんな大げさなものか?)。
 しかし、海辺で暮らすと潮風で洗濯物が湿って困ると聞いたことがありますが、田んぼの真ん中で暮らすと布団が干せません、というほどのことはないにしても、うんかに困るんですね。これから夏にかけて、また何か出るのでしょうか?久々に自然と共生しているのを感じた小事件でした。

2005年5月4日(水) 水田のさ中

 Erillの風邪がTarlinにうつってしまいました。風邪をひいた時に喉風邪になる人と、鼻風邪になる人がいますが、Erillは前者、Tarlinは後者。しかし、今回は「喉風邪」型のErillの風邪がうつったせいか、それとも今の流行の風邪が喉から咳にくるためか、Tarlinも喉風邪になってしまったようで、昨日金曜日の朝、焼け付くような喉の痛さを訴え、風邪を発症。その日のうちに医者へ行き、薬をもらったおかげで、熱もなく喉の痛みも少しずつましになっている様子です。Erillも喉風邪の末期症状である喉のかゆみが今日は大分静まってきたのですが、咳が勢いよく続いています。
 さて、風邪にも喉風邪と鼻風邪があるように、風邪を引いた場合の食欲も人によって違うようです。Erillの場合、相当熱が出ない限り食欲は低下しないどころか、体が養分を欲っし、時に旺盛なくらいですが、Tarlinの場合は食欲が落ちてしまい、特に発熱時は果物やアイスを除いて、殆ど何もうけつけなくなってしまいます。しかし、治りの早さは食欲に比例しそうなものを、なぜか反比例で、食欲がなくなるTarlinの方が早く、食欲に変わりのないErillは遅い・・・ 治りの速さは、食欲より免疫力なんでしょう。
 幸い現在ののTarlinlはErillのウィルスがうつったおかげで(?)食欲は落ちていません。炊事係のErill、献立に悩まずに済むので、まずは一安心。
 それにしても、いい季節だというのに、風邪をひき、仕事づくめの毎日を送るTarlin。明日の夜から来週水曜まで京都に戻りますが、休みは一日もありません。いったい休みがとれるのはいつの日か?このままでは、風邪の治りも遅いのでは、と心配です。

2005年5月7日(土) 喉風邪と鼻風邪 

 8日日曜日午後から京都に戻ってきました。Tarlinは日曜も午前中は仕事、月曜は日帰り出張、本日は大阪で仕事と相変わらず休みがありませんが、無事風邪も治ってきたようです。しかも今の流行風邪の特徴のしつこい咳(Erillもひどかった)もほとんどない様子。ちょっと不思議(・・)?ですが、何はともあれハードスケジュールにもかかわらずこじれなかったので、何よりです。Erillのほうはようやく咳も治まり、やっとほぼ完治しました。
 福井から戻る途中、二週間前に通ったときはまだ真っ白だった伊吹山の頂もすっかり雪が解け、新緑が萌えています。京都(府の南の果て)に戻ってくると、福井では咲き始めていたツツジがこちらでは満開。福井では満開だったハナミズキの花は京都ではすでに終わり、かわってヤマボウシの白い花が、明るい新緑の上に満開になっています。季節の違いは、およそ一週間でしょうか。二週間留守にしていたので恐れていた花壇の雑草も、今回はあまり生えておらず、まずは一安心です。
 庭をみまわったり、銀行に行ったり、ピアノを弾いたりして家で過ごしているErill、今夕、宅急便で自分宛に筒状の荷物を受けとしました。送付元を見ると「水中造形センター」とあります。これだけでピンと来なかったErill、「はて?」と思いつつ、中を開けると小さな紙片が一枚、「おめでとうございます!書籍アンケートのプレゼントに当選しました!」 ここでやっと分かりました。パラオ旅行の前に買った『海と島』別冊のガイドブック『楽園パラオ』の読者アンケートのプレゼントに当選したのです。(しかしなぜか挨拶状には『楽園パラオ』ではなく、「『楽園モルジブ』ご愛読・・・」と書かれていました。これもご愛敬ですね(^^)。)保護の厚紙を開けると、写真家で編集長の舘石昭氏のサイン入り大判海中写真プリントが・・・ 蒼い水の中一面に拡がる小魚の群れの中を悠々と泳ぐマンタの、躍動感のある迫力のパノラマです。Tarlinと話し合って、書斎のデスクマットに敷き込むことにしました。これで、机の上にいつもパラオの海が拡がっています。
 それにしても、月に5名しか当たらないので、ラッキーとしかいいようがありません。結構熱心にアンケートを書き込んだのがよかったのでしょうか。そういえば、ツアー後JALのアンケートに答えたら、それも当選してJALから可愛いパステル調のスパンコール付き布製バッグが送られてきました。これもパラオの海の神の力、でしょうか。急に懸賞運のついてきたErill、これで運を使い果たしませんように。

2005年5月10日(火) 懸賞に当たる 

 12日木曜日の朝、再び福井に戻って来て二日目、爽やかな五月晴れの週末となっています。が、3週間連続で相変わらず土日返上で仕事のTarlin、今週もお出かけには無縁・・・ Tarlinに休みが取れる日が一日も早く訪れることを祈りながら、今日も家でお留守番です。
 留守番の友はパソコンとピアノ。ピアノは再開して少しずつではあるものの前進しているのに、福井にいる半年もの間練習できなければ、また元の黙阿弥に戻ってしまう可能性があります。再開したとたんにそれでは耐えられないと、思い切ってポータブルの電子ピアノを購入しました。YAMAHAのP-60Sという機種で、生ピアノ以前に京都の家のクラビノーバが恋しくなるタッチですが、毎日弾けるだけでも有り難く嬉しいことです。
 ポータブル・デジピを買ってでも練習を中断したくなかった裏には、昔からどうしても弾いてみたかった曲がありました。ショパンのノクターン作品9-2、クラシックを聴かずとも、殆どの人が旋律を知っているのではないかと思われる曲。テレビから流れる夢見るような抒情的旋律が頭を離れなくなったのが中学生の頃、半年後にやっと曲名を知ってからというもの、ピアノで何か一曲弾けるようになるならこの曲という、生涯の憧れの曲になったのでした。子供の頃、初級のなかの初級教本、バイエルを終えて挫折したErillにはむろん高嶺の花でしたが、ピアノを再開した以上、死ぬまでには弾きたいものよと思っていました。
 そんな去年の秋のある日、ネットで何気なくノクターンで検索をかけると、バイエルを終えたレベルやブルグミュラー学習中の人が、半年から一年がかりでノクターンを弾けるようになっているではありませんか。ちょうどブルグミュラーを独習中で、「それなら私にも出来るかも」と思ったErill、早速楽譜をくって譜読みを始めたものの、あまりにややこしい左手にあえなく挫折、ノクターンは夢の旋律のまま夜空の彼方で響いているのでありました。
 それから数ヶ月たった二月の初め、またいそいそと楽譜を取り出し、再挑戦。と、「ん?音がとれる?」地道にブルグミュラーを進め、「エリーゼのために」や「マズルカ5番」「ジムノペディ」を何とか弾けるようにし(後者2曲はすぐ弾けなくなりましたが)、ドビュッシーの「夢」を囓っては挫折したりしているうちに、読譜力がついたのか、わりと楽に譜読み出来るではありませんか。「もしかして、これは練習し時?」と嬉しさのあまりなにやら勘違いして気が大きくなったErill、ただ弾きたいという一心で、無謀にもノクターンを練習すること三ヶ月、何とか一通り最後まで弾けるようになりました。心のままに旋律を歌わせるにはまだまだですし、ブルグミュラーも終わりに近づいたので、そろそろ先生を探して、まずはノクターンをきちんと見てもらいたいものです。しかし、指導を仰いだとたんに、「あなたのレベルでまだまだこの曲は無理だから、やめなさい」と言われてしまったらどうしましょう(☆_☆)???
 しかし、憧れの一曲が弾けるようになったからには、練習にハリを持つためにも、次の大目標を掲げたいもの。次の大目標は○○○(=ありすぎて決められない)。

2005年5月14日(土) 憧れのノクターン 

 このところ家に居る毎日が続いているErill、さすがに五月の陽光と緑への渇望に耐えられず、仕事続きのTarlinに悪いような気がしつつも、足羽(あすわ)山に散策に出かけました。足羽山は標高116.8mの小高い山で、足羽川の南岸から福井の中心街を見下ろす、緑の憩いの場です。本日のお目当ては、足羽神社と福井市内の展望です。
 路面電車の福井鉄道を公園口駅で降り、眼前の緑の山に向かって歩いて行くと、山をくぐるトンネルが見え、その脇から足羽山を上っていく道があります。ガイドブックも持たず、行き当たりばったりで来たErill、案内板で目指す足羽神社の位置をチェクし、道を登り始めました。道端には紫陽花の木が続いています。梅雨の頃に来ると、美しいことでしょう。歩行者用には、近道のための石段が付いています。数分すると、茶屋が並ぶ広場に出ました。足羽神社はこの辺では?と思い、案内板を探しましたが、見あたりません。よく分からないので、自然史博物館のある高台の方に上ることにしました。
 博物館は月曜は休館。どこか市街を見晴らせる所はないかと、さらなる高みを求めて、継体天皇像の立つ頂きまで登りましたが、四方とも一面に木がおい茂っています・・・ そのうち展望できる所があるはず、ととにかく先へ行ってみることにしました。標識に沿って、最初は行くつもりのなかった招魂神社、NHKテレビ塔、平和塔とどんどん進んで行きますが、道沿いは大きく枝を伸ばした新緑の木立がひたすら続き、展望は一向に開けません。しかし、むせかえるような緑の木漏れ日の中を歩くのはそれだけで清々しく、見晴らしは気にならなくなりました。月曜日はほとんどの設備が閉まっているため、山は閑散とし、静けさそのもの。時折、悠々自適とおぼしき年配の人々が歩いている程度です。とうとう、足羽山公園の一方の端、公園遊園地まで来てしまいました。残念ながら、月曜日で閉園。カップルや家族連れが車で来ては、中に入れないで残念そうに引き返しています。
 公園遊園地の駐車場で初老の男性が一人座り込み、数人の人が取り囲んでいます。物を売っている様子もなく、誰が来てもいいようだったので、Erillものぞき込むと、砺波平野のチューリップ祭りの写真を広げて、立ち止まる人に説明しています。「このチューリップは、1株2万円・・・」写真愛好者が、自慢の写真を道行く人に披露していたのでした

2005年5月16日(月) 足羽山探索 

 高級チューリップの値段にくらくらしながらその場を離れ、再び新緑の中を歩いて、最初に出た茶屋の広場から来た時とは違う方に道を降りていくと、左に神社らしき佇まいが見えてきました。帰路にしてやっと足羽神社を発見です。緑豊かな小じんまりした神社で、境内には樹齢350年の枝垂れ桜があり、桜の季節に来てみたいと思わせる大きく立派な樹容です。
 神社の境内を降りると、小さな広場になっていて、福井市内が見晴らせます。降り際にしてイメージ通りの眺望に、やっと出会えました(^^;。市街を緑の山が囲み、その山並みの後ろには雪を被った白山が白く浮かぶように鎮座しています。越前からも加賀からも仰げる神々しい山容

は守り神のごとく、山岳信仰を集めたのもうなづけます。しかし、電線だらけでいい写真が撮れませんでした・・・
 神社から麓までは、石段造りの愛宕坂が続き、雰囲気のある料亭などが並んでいます。途中で道を右に折れて横坂から百坂に出ると、水道記念館になっている大正風の洋館があり、歴史を感じさせます。駅に帰るべく、道路を渡ろうとすると、「橋本左内墓所」の看板があるではありませんか。福井藩主松平春嶽に徴用され、安政の大獄で落命した幕末の志士、橋本左内。すぐ側にあるとくれば、もう行くしかありません。お寺の前に「左内公園」という公園があり、橋本左内の銅像と祈念碑、左内の号「景岳」の名が刻まれた墓碑がありました。そして、この辺りの地名も左内町。町の誇りなんですね。期せずして、福井の歴史に触れた一時でした。

 4月最終週からずっと働きづめだったTarlin、4週間ぶりにやっと休みがとれました。折しも爽やかな五月晴れ、Tarlinの「初級シスアド」合格祝いとリフレッシュを兼ねて、一日ドライブに出かけました。
 朝7時過ぎ、洋上に浮かぶ白銀の立山をみようと、富山県の氷見を目指して出発しましたが、小矢部あたりで立山が見えてきたものの、山容は白くぼおっと霞み、わずかに山頂部が周りの雲と識別出来る程度。これは、氷見へ行っても望み薄と、急遽行き先を海から山へ変更し、一路五箇山へ行くことにしました。富山は海と山があまり離れてないため、一時間半で五箇山に到着です。
 

2005年5月21日(土) 合掌の里、万葉の町 

 HPを立ち上げてちょうど一年が過ぎました。拙い編集にもかかわらず訪れて下さった方、本当にありがとうございます。そして、これからもよろしくお願い致します。
 そして、この日はTarlinとErillの3回目の結婚記念日。久々にまとまった休みのとれた(というか、無理矢理とった)Tarlin、HP立ち上げ1周年(本当??)と結婚3周年を記念して、旅行に行くことにしました。立山と上高地に候補を絞りましたが、立山の「雪の大谷」には閉所嫌いのTarlinが関心ゼロ、上高地なら今まさに新緑が美しいだろうと、上高地に決定。午前3時に福井を出発し、平湯から上高地に入りました。

2005年5月25日(水) HP開設1周年 そして早春の上高地  

2005年5月17日(火) 祝! Tarlin 初級に及第 

 春の暖かさにつられて冬眠から覚めた熊のようにプラプラと地元探索に出かけたErill が長々と日記を書いてくれたので遠慮しましたが、実は、昨日5月16日(月曜日)は、Tarlinが先月、勤める会社から強制受験させられた「初級システムアドミニストレータ」の合格発表の日でした。 そうです、ちょうど1ヶ月前の4月17日(日記見てね)に受けた恐るべき試験の結果発表があったのです。何が恐ろしいって、問題が難しいとか、合格率が低いとかではなくて、「初級」という言葉が恐ろしかったのです。考えても見て下さい。「初級」に落っこったら・・・と。「初級未満」というレッテルを貼られた、その人の尊厳はどうなるのでしょう。 まぁ、私ごときに尊厳などという大それたものはありませんが、一応、社会人しているので職場での立場というのもあります。これからの後輩達への指導における影響力の大幅低下は否めません。偉そうなことを言っても、心の中で「あんた初級未満じゃん ぺっ!」と思われるに決まっています。 そんなこんなで、見えない影に怯えて一ヶ月。ついに、吉と出るか凶とでるか合格発表の日がやってきたのです。
 して結果は・・・ パッパカパーン 合格でした。 めでたく初級に及第できました。 (;;)応援して下さった皆様(誰が?)ありがとうございました。 Tarlin も燦然と輝く「初級」の冠をかぶって強く生きていくことができます。
 しかし、もう二度とこんな変な意味でプレッシャーの強い試験は受けたくないものです。堂々と落っこちれる試験がいいです。

 相倉の次は、五箇山のもう一つの合掌集落、菅沼(すがぬま)に向かいました。菅沼は荘川に小さく張り出した平地に、水田の中、数件の合掌造りがこじんまりと並ぶ箱庭のような小さな村。私達の一番好きな合掌集落です。民俗資料館で江戸期の五箇山の産業、硝煙の勉強をし写真を撮っているうちに、お昼時。人がほとんど居なくなり、村は閑静な一服の絵のようでした。
 

 まず五箇山で合掌造りが一番まとまって残っている相倉(あいのくら)の集落に入りました。まだ朝9時半で、駐車場には車が数台、観光バスもおらず、静かです。村の端まで歩いていくと、雪を抱いた白山の下、雪解け水を張った水田に手で田植えをしています。少し高い位置から村を見晴らせる村の後ろの山道を歩いて、再び村の中に戻ってくると、別の田でも田植えをしています。五箇山を訪れるのは三回目ですが、世界遺産に指定された直後の10年前と変わらぬ生活の姿に心が和みます。
 

 土産物屋でそば粉入りのソフトクリームを食べてみました。そば粉の風味が香ばしく美味しいのですが、、まるまる一本は少し重く、一本はバニラにして二人で分ければよかったかも・・・です。
 

 静かな村の茶屋で昼食といきたいところ、そばソフトでお腹がもたれていたので、そのまま岐阜の白川郷へ。
 数年前に来たことのあるTarlinは気が進まないようですが、今を去ること10数年前、世界遺産指定以前に雪の白川郷を訪れたことのあるErill、緑の白川郷が見てみたいと、Tarlinに頼んで白川郷まで車を進めてもらいました。が、着いてびっくり。沿道の両側には土産物屋や食堂がびっしり並び、嵐山・・・までは行かずとも、俗化した観光地の騒がしさ。メインの道から一本奥の筋を歩いてみましたが、メイン道に合掌以外の建物が増えたせいで視界が遮られ、ゆったりした風情がなく、せせこましいばかり。対岸の駐車場の傍らの民家園も以前は訪れる人もなくひっそりしていたのに、何やらテーマパークのようです。少し歩いただけでげっそりして、写真も一枚も撮らず出てきてしまいました。
 今から10数年前、学生のErillが訪れた時は、ライトアップもない真冬の平日だったこともあり、人気もなく、しんしんと降り積もる雪の中、昔のまま時が止まったかのような村の風景が広がっていました。近代化以前の日本は、こんなに美しかったのか、と感動したのを覚えています。今さっき目にした白川郷は、それとは全く別の存在でした。
 何故こんなことになってしまうのか。メインストリートに所狭しと立ち並ぶ土産物屋や食堂は、外来の業者でしょうか。地元の生活を活性化する観光産業を否定はしません。しかし、それなら荻町の合掌集落中心部は風致地区として景観を保存し、新来の土産物屋や業者は全て対岸や周辺に建てる等の措置を講じられなかったのでしょうか。博覧会施設のような白川郷では魅力が感じられず、ゆくゆくは訪れる人が減り、破壊された景観だけが残るのではないか、と危惧されてなりません。俗化を理由にユネスコが世界遺産認定を取り消すのでは、という心配までしてしまいます。雛びた趣の五箇山の後だけに、目先の商業利益だけで希少な文化遺産をくいものにする業者に怒りを覚えながら、白川郷を後にしました。
 白川郷ショックで昼食もとらず、お腹が空いた我々、こうなっては日本海のキトキトのお魚で味と心の口直しをするしかないと、高速で一路氷見へ向かいました。約一時間半くで高岡市の雨晴海岸に到着。空はすでに曇り空で水平線の上は真っ白、立山はかすかに山頂が確認出来る程度です。お目当ての氷見のお寿司屋さんが開くまで二時間あったので、途中、案内板で見かけた万葉歴史館に入ることにしました。高岡市は、万葉集の編者、大伴家持が国守として赴任、その古今に通じる抒情的歌風を確立した223首を詠んだ土地だったんですね。立派な展示に感心しながら、高岡から氷見に向かい、氷見でTarlinがいつも立ち寄る寿司屋「やうち」で、とれたての甘いお魚と軽い銀しゃりが口の中で転がるようなにぎり寿司を堪能し、帰途に着いたのでした。

 バスの窓から行く手を見ると、朝の光が白い雲を照らし、雲の切れ目から間から雪の穂高連峰が神々しいばかりに白く輝いています。あまりにも荘厳な自然に、自然と手を合わせてしまいます。
 大正池でバスを降り湖畔に出ると、すでに写真愛好家が三脚を立てずらりと並んでいます。池の雲が上がるのを見守ってから、ホテルに荷物を預けて散策に出かけました。目標は、明神池まで。

大正池から田代池へと向かうと、木立の合間から穂高の山々が眼前に飛び込んできます。中腹には薄く雲がたなびき荘厳さが際立ちます。
 田代池では、生命の息吹を感じさせる新緑の木々が優しい陽光に照らされて光り輝いています。
 しかし、ここでハプニングが・・・。 このあまりの美しさに惑わされたのか、何とデジカメ君が突然狂い始めたのです。液晶がちらつき始め、まともに映像をとらえられなくなってしまったのです。

 ということで、デジカメ画像による速報写真は右の一枚を最後に終わりになってしまいました。
 田代池から新緑の森を抜け、梓川にかかる田代橋を渡り、川沿いに河童橋に向かいます。河童橋にはまだ人が少なく、梓川の背後に白銀の屏風のように聳える穂高の眺めを、ゆっくり眺めることが出来ます。朝食がまだだったTarlinとErill、神の遊び場そのものの景色を眺めながら、ベンチに腰掛け頬張るおむすびは、何より美味しく感じられました。

 河童橋を後に、明神池を目指して梓川の右岸を遡ります。白樺ホテルの前で今一度梓川と穂高の姿を写真に収めようカメラを構えると、穂高に雲がかかってしまい上半分が隠れてしまいました。しばらく待ってど様子は変わらず、諦めて歩き始めました。
 梓川の左岸の道は、熊笹に覆われた森林の中を通っています。途中から梓川の流れが右に見えるものの、それまではひたすら森の中です。実は、この道、Erillが高校生の時、修学旅行で山開き直後の上高地で2時間の自由散策で歩いたコース。よりによって、貴重な自由時間に一番見晴らしの悪いコースを選んでいたことが分かりました。それも、友達に私からこっちへ行こう、と言ったような・・・あの時いっしょに行った友達、すいませんm(_ _)m。
 途中すれ違った人が、「すぐそこで熊の写真を撮ったよ。もういなくなったけど」と興奮気味に話してくれました。う〜ん、熊避けの鈴を持っていない我々、お会いしたくないような、したいような。
 梓川が開け始め、左に明神岳、梓川にかかる明神橋が見えてくると、もう明神池です。明神池は明神神社の境内になっていて、入るには入場料を払います。急峻な明神岳の緑の木立の下、蒼い透明な水をたたえ、小さな小島がいくつも浮かぶ明神池は神話的な静けさをたたえています。池には、大きなイワナが何匹も泳いでいました。
 神社を出て、嘉門次小屋名物のイワナの塩焼きで炭火焼きならではの香ばしい味わいを昼食に堪能したあと、明神橋をわたり、今度は梓川の左岸を歩いて河童橋まで戻ります。新緑の木漏れ日のまぶしい森には、ニリンソウの白い花が一面に咲いています。早春の清楚な風景です。
 河童橋に来ると、さすがに朝と違って修学旅行生や団体でにぎわっていました。穂高は稜線まで見えるものの、今度は背景の空に雲がかかり、残念ながらどんよりした眺め。明日に期待しながら夕方4時には大正池ホテルに戻り、翌日は再び早朝から行動を起こすべく、夕食後すぐに眠りに就いたのでした。(26日に続く)
 

 朝4時45分起床。窓の外を見ると、青く明け始めた空には雲一つ無く、焼岳の頂上に光が当たっています。穂高の上も雲一つありません。今朝こそ雲一つ無い青空に浮かぶ白銀の穂高を見ようと、ホテルを出て河童橋へ向かいました。早朝の上高地は静かで、時折カメラを抱えた人とすれ違う程度。新緑の木立の中、カッコウやウグイスの歌が響いています。昨日より少しばかり緑が鮮やかになっているように感じます。
 河童橋から少し上流の梓川の河原が見晴らせる所で、穂高に朝日が当たるのを待ちます。今日の穂高は中腹に雲はありませんが、上空が高層の薄雲でうっすら白くかすんでいます。それでも、十分に美しい穂高を仰ぐことが出来ました。
 バスで大正池ホテルに戻り、朝食後、窓から焼岳を見ると、裾野には新緑の森が大きく広がり、大正池の水が碧さを増しています。いつまでも見ていたくなりますが、次の目的地に向かうべく、バスで上高地を降りました。
 平湯で乗鞍スカイラインに上がろうとするも、30cmの積雪による路面凍結で一日中閉鎖とのこと。今日は安曇野に向かうことにしました。残雪の残る安房峠を越え、梓川に沿って新緑で蒸せかえるような谷を下り、安曇野に出ると、常念から立山、遠く白馬連峰が白く浮かんでいます。この風光のもとでみるわさび田はいかにと、大王わさび園に向かいました。
 入り口のレストランでわさびスパゲティとわさび蕎麦を賞味。あまりピリリとしない、ほどよいわさび風味がなかなかです。昼食後、修学旅行生がいなくなるのを待って、園内を散策。名水百選の清冽な水が、水車小屋を経て流れ込む敷地は、わさびの葉で一面の緑・・・のはずが、一面の黒い布で覆われていました・・・。日射除けでしょうか、黒布の下では温度を下げるために人が出て葉に水を撒いています。わさび漬け体験に参加しようとするも、修学旅行生とおぼしき子達ですでに本日の予約はいっぱい。気を取り直して、名物のわさびソフトクリームを試してみました。こちらも辛さや刺激はなく、わさびの涼味がしゃりしゃりしたクリームとよく合い、大変美味でした。
 わさび園の後は、ハーブ園の夢農場へ。ラベンダーはまだですが、カモミールの白い花が丘の一角を埋め尽くしていました。カモミール摘みにチャレンジしたくも、帰りが二日後のため、車内に花を広げて乾かしておくスペースが必要と聞き、これまた無理と断念。カモミール茶とアップルミントのポプリを買って、農場を後にしました。
 北アルプスの白い山並みを見ながら、りんご畑に水田、山裾の森の安曇野らしい田園の中を走り、今宵の宿へ。前も泊まったことのある3部屋しかないフランス料理民宿、オーベルジュ・ノワールです。とろけるような新玉ネギや牛肉の赤ワイン煮込みなど、季節の素材をふんだんに生かしたフランス料理のフルコースを堪能して、夢路へと就いたのでした。(27日に続く)

2005年5月26日(木) 上高地から安曇野へ 

 旅の3日目、二日続いた早朝行動のおかげで、今日も早起きです。オーベルジュを囲む森を散歩し、道端の道祖神朝の挨拶をした後、朝食。自家製のクロワッサンとバゲットが、ほどよい柔らかさ。自家製紅玉のリンゴジャムもみずみずしく、販売もあったので、しっかり買ってしまいました。
 先の2日は終日好天でしたが、今日は昼から崩れると天気予報。乗鞍に行きたくも、これはあまりいい状況でなかろうと諦め、宿の部屋の情報ファイルでオススメ場所に紹介されていた、長峰山に向かいました。長峰山は上まで車で上がることができ、標高933mの頂上からは北アルプスの山並みと安曇野が一望できる・・・はずですが、晴れてはいるものの、昨日見えていた山並みは霞んで全く見えません。知っていれば、昨日来たのに、と残念がりながら山を下りました。また晴れた時に再挑戦し、川端康成や東山魁夷も讃えたという風景を見てみたいものです。
 安曇野といえば、美術館。今回は、「岩崎ちひろ美術館」へ行くことにしました。2回目ですが、定期的に展示テーマが変わるようで、そのたびに岩崎ちひろの新しい側面に触れることができます。今回のテーマは「ちひろと信州」。白馬や燕岳登山の写真、山のスケッチなどがあり、旅行中の我々の興味をひきつけます。企画展は、日本的世界を描く名絵本画家、赤羽末吉の「鬼の絵本」展。Tarlinは「大工と鬼六」、Erillは「スーホの白い馬」を懐かしみながら、しばし日本の土俗と子供時代の想い出にふけったのでした。
 昼食は美術館のカフェ。野外テーブルで安曇野の緑爽やかな空気を吸いながら味わうホットケーキとサンドイッチ、信州特産のリンゴジュースは大変まろやかでした。
 午後からはばかり少し北上し、大町へ。天気は予報通り荒れ模様となり、黒い雲が現れ、雨交じりの突風が吹いてきました。大町は黒部立山アルペンルートの信州側の起点ですが、立山は見えるべくもありません。この町は小さな博物館が点在していて、今回はTarlinのたっての希望で劇団四季演劇資料館に寄りました。劇団四季の歴史、舞台衣装や道具、などなど様々な背景知識が得られました。劇団四季の成功は戦略上手であったためですが、これは浅利慶太が演劇人になる上で恵まれた環境に育ち培われたため・・・らしい・・・というのも分かりました。
 資料館を出ると荒天は収まり、青空に日が差していました。木曜の時点で土曜も天気が良さそうなので、今夜の宿に新穂高温泉の中尾平ホテルを予約。前も泊まったことのあるこの宿は、焼岳への登山道の入り口麓で、木立や山の風景が大きなガラス張りのお風呂からも見え心地よいので、日のあるうちに温泉に入るべく、再び安房峠を越えて、4時半には宿に入りました。新緑に囲まれた温泉と、季節の山菜をふんだんに使った、一品一品心のこもった料理に幸せを感じながら、旅の3日目は暮れていったのでした。(28日へ続く)

2005年5月27日(金) 岩崎ちひろと劇団四季 

 .中尾平ホテルからは、木立の間に錫杖岳から笠ヶ岳に連なる山並みが見晴らせます。朝日の差す白銀の峰を見たいと、旅の最後の日も早朝に飛び起きました。4時半頃、笠ヶ岳の頂上のまさしく笠の先っぽのようなとんがりに陽が当たり、そこから光が広がり、峰が白く浮かび上がっていきます。その光景をカメラに収めてから、朝の温泉浴の後、朝食をとっていると、親切な宿の主さんが今日は乗鞍スカイラインは朝からバスを運行、見晴らしもよいと教えてくれました。わざわざバス会社に電話で尋ねてくれたのです。
 雰囲気のよいロビーで朝のコーヒーを飲みながらくつろいだ後、宿を出ました。北アルプス大橋に立ち寄り、新緑に彩られた谷間と北アルプスの美しい景色を眺めた後、朴の木平まで行き、乗鞍スカイラインを上るバスに乗り込みます。新緑の森から淡く芽吹き始めた木立、冬枯れの木と残雪、そしてハイ松と石と雪・・・と、大きな急カーブを描いて標高を上げるにつれ、春の自然から冬の自然へどんどん変わっていきます。左手後方には笠ヶ岳から槍ヶ岳、穂高に至る山並みが、右手には飛騨の盆地の向こうに遠く白山が浮かんでいます。見事な眺望です。
 畳平は、春が始まったばかり。斜面の方向によっては一面に雪が広がり、スキーをしている人もいます。畳平の隅でモデルさん?が撮影をしていました。10℃もない所で、薄着で撮影とは、大変です。
 鶴ヶ池は水面をほとんど見せている物の、縁に雪を大きく残しています。眺望を得ようと、畳平のすぐ上に突き出した魔王岳に登ることにしました。中腹までは石段が整備されていますが、途中からガレ場のようになり、足下の準備のなかったTarlinとErill、革製のウォーキングシューズがぼろぼろになってしまいました。靴を犠牲にして(?)、20分足らずで着いた頂上からは、北に笠ヶ岳、槍、穂高の北アルプスの連峰がくっきりと見晴らせ、東には眼前に恵比寿岳のすり鉢状の斜面いっぱいに雪が広がり、底には凍結した亀ヶ池が見え、素晴らしい眺望にしばし時間を忘れたのでした。
 魔王岳を下りてすぐ、バスで朴の木平まで戻り、高山の手前で道沿いに見えた蕎麦屋で昼食を取り、パステルの新緑に染まる蛭ヶ野高原を越えて福井に入りました。福井に入ると高度が下がり、緑もうっそうとし、高原の新緑の淡い色彩の直後には蒸せ返らんばかり・・・ その分生命が旺盛ということなのですが(^^; ほどなく、福井の紅葉の名所、九頭竜(くずりゅう)湖が現れたので、立ち寄ってロックフィルダムの岩の堤防とのびやかな湖面をしばし眺めた後、朝市で有名な大野市をかすめ、福井市内に戻ってきたのでた。次に信州方面に来るときはトレッキングシューズを備えて、山歩きを楽しみたいものです。してみたいことがまた一つ増えて、新緑の山の旅は終わったのでした。

2005年5月28日(土) 乗鞍から帰途へ