2005年1月
睦月

 1月1日から Erill の実家である徳島県は阿南市へと2日間だけですが帰省しました。 Erill のお家についてびっくりしたのは、この diary でも何度かご紹介した、柴犬もんた(正式名称:ノア)がわずか2ヶ月ほどで、おっさん犬、いえ失礼、もとい、立派な成犬様に変わり果てて、いえ失礼、もとい、成長されていたことでした。その劇的な成長ぶりは11月6日の日記を見て頂ければ分かります。立派(なんか、お目々が座っておられまする)になった事を喜ぶべきなのでしょうが、あの、コロコロとしていた時の事を瞼に浮かべると・・・ うーん。複雑な心境です。
 翌、1月2日は、京都へ戻ってくる道すがら、Erill の両親と、淡路島の灘黒岩水仙峡を訪れました。 今年は例年に
 

2005年1月2日(日) おっさん犬になった“もんた”

比べて、1月ほど開花が早いそうで、既に見頃を迎えていました。 やはり、地球の気候は変貌しつつあるのでしょうか? 今が春とばかりに咲き誇る水仙は圧巻で、園内
 

に近づくにしたがって、水仙の香りが香ってきて、園内では、それこそ香水を振りまいたかのような香りがあたり一面を満たしていました。
 Erill両親との別れ際、Erillが学生時代に録音した歌のテープを貸して頂きました。それを車で聴いたのですが、Erillが思いの他、「癒し系歌人」であることに驚きました。「どうして、いつもその調子で歌わないの?」と聞くと、なんでも、そのテープは地声で、先生について発声練習を受けてから変わったということです。 とにかく貴重なテープ(?)なので、デジタル化するまでは封印することにしました。
 

 2日に徳島から帰ったばかりの翌3日、新春に欠かせない行事、初詣に出かけました。今年は、年末年始の休みが短いので、毎日何らかの行事が入り、慌ただしい限りです。Tarlin & Erill 家の初詣は、吉野神宮と決まっています。しかし、奈良の南に位置するこの神社、家から車ではるばる片道1時間半以上もかかるのです。近場の奈良市内や京都市内に行けばと思うのですが、Tarlin曰く「中学生の頃からずっと参詣してるから、違えると良くないことが起こるやもしれん」とのこと・・・技術者にしては、信心深い(?)一面があるのです。
 人間社会に奉公していた時代に少し着付けを習っていたErill、初詣には着物、と自分で着物を着始めたのはいいものの、8カ月ぶりのためなかなか帯の格好がつきません。一時間かかって何とか形をつけ、ようやく昼過ぎ出発しました。
 吉野神宮の社殿は、明治25年建造の比較的新しくも堂々たる佇まいで、100年の時を経て古式ゆかしい趣きです。この神社が良いのは、奈良県でも人口の多い北部からかなり遠いため、初詣客が少ないところ。護摩木に新年の祈願し、神棚に祀る(我が家は神道です)破魔弓を買い、Erill だけおみくじを引き、これまた例年の恒例行事のごとくほかほかの葛湯を飲んで帰ってきました。
 ちなみにErillのおみくじは、吉。しかしおみくじって、「吉」だと良さそうですが、金運やら健康運やら待ち人やら個々の運を見ると、時に辛口であまりいい運勢とも思えないのは何故なのでしょう。
 帰りに買った柿の葉寿司で夕食の後は、NHKの新年古代史ドラマ「大化改新」。渡部篤郎演じる蘇我入鹿に感動。蘇我入鹿というと、どことなく悪役のイメージがありますが、このドラマでは権勢を誇る一族を継ぐ宿命を持つ者が、運命のままに政争に巻き込まれ、身を滅ぼして行く悲劇的人物。その無念の遺志を入鹿が託すのが、入鹿の親友ながら国のため彼を暗殺する中臣鎌足、という設定なのですが、岡田准一演じる中臣鎌足、ラストシーンの熱演は良かったものの、入鹿役の渡部篤郎が上手すぎるのでしょうか、今一つ表情に乏しく、主役なのに存在感が今一つ・・・ 俳優のオーラは容貌だけでは出ないことが、よく分かる結果になってしまい、何だか残念。頑張れ、岡田准一! 
 脚本も説明不足なのか、無理な部分があり、全体的に前の「聖徳太子」の方が質が高かったような。でも、古代史ドラマというジャンルそのものが面白いので、またこの手のドラマがあれば、絶対見ると思います。

2005年1月3日(月) 初詣と「大化改新」

 短かった年末年始の休みも明け、日々の生活が戻ってきました。疲れが取れないまま4日出勤したTarlin、この日はいつもより早めに帰ってきましたが、昨日5日から通常(?)の平日時間で頑張っています。このTarlinの平日の生態ですが、遠距離通勤者の宿命で、恐ろしく早起きな上、帰りも遅く、滅法ハードです。

 AM5:30 起床 → AM6:00 バスと電車で通勤 → AM8:00〜 会社でお仕事
 PM9:00 仕事を終えて会社を出る → PM11:00〜23:30 帰宅 

 この生活パターンで困るのが食事です。もともと体の大きなTarlin、帰宅が遅いので、夕食は肥満の元になるため採らないことにしています。それで、平日に家で食事出来るのは、朝食だけのはずなのですが、通勤電車で睡眠時間を補足するため、胃にもたれて体調が悪くなるからと、去年からカスピ海ヨーグルトと蜂蜜だけで済ませるようになってしまいました。
 せめてお昼の食事を少しでもましにと、秋からTarlinにお弁当授けるようになりました (夏の間は衛生面が不安なため、Tarlin持参自粛)。このようなTarlinの事情に合わせて、Erillはどんな時間スケジュールで過ごしているか?

 AM5:00 起床 お弁当調理 → AM6:30 再び就眠 → AM8:00〜9:30 再び起床
 その後の行動は、押して知るべし(それなりに、色々やってます!?)

 う〜む、それにしてもこの起床時間、何だか朝からフル回転で働いている人に叱られそうな生態です。しかも、冬に入ってだんだんと遅くなっています。このままでは、いけません。
 よって、Erillの本年度の抱負、朝8:00代には必ず起床する。自分で書いてて、情けなや(爆)

2005年1月6日(木) 日々の生態

2005年1月8日(土) Erill 呆然の巻

 実は、我が家では予てより、とある問題が持ち上がっておりました。それは、Erill が「家のキッチンカウンターが低くて、お米を磨いでいると腰がいたくなるー。 実家とかはもっと高かったから楽だったよー。」と申しておりました。腰に関しては自ら弱点を抱えている Tarlin も「それは、ゆゆしき問題よの」と、早急なる改善計画を立てて、海外旅行の凍結と引き換えにキッチンの大改装を思案していたところ、旅行との引き替えは割が合わないと思ったのか、Erill は「もうちょっと我慢する・・・」と申し出てきていました。まぁ、そんなかんだで海外旅行は復活したものの、何と言っても腰痛大国日本に居る限り捨て置ける問題ではありません。というか、まんまと Erill の策略にはまってしまって、キッチンの大改装も行うことになってしまいました。「二兎を追う者は一兎をも得ず」と申しますが、まんまと二兎を獲た Erill。なかなかの策士でありますな。
 というわけで、今日は、家を建ててもらった積水ハウスのリフォーム見学会に参加して、情報を収集しました。その際、リフォーム相談というのがあり、住設メーカーの方にも事情を話しました。現在のキッチン高さの主流は85cmとの事らしいのですが、メーカーの方がおっしゃるには、多分80cm位で低く感じているのだろうとのことでした。いずれにしても、一度現場を見ていただいて見積もりを取っていただく約束をしました。さて、問題はここからです。お家へ帰ってキッチンの高さを計ったところ。「・・・ ん? 85cm? (・・)」 さてさて、これはいかがしたものかと思いきや、とりあえず実家に電話してもらってキッチンの高さを確認してもらいました。「で、いくら?」 ・・・ 「80cmだって。 ひらひらーー」
 そういうことで、二兎の内、一匹は走り去って行ったのでありました。 まぁ、既に覚悟していた出費と言うこともあり、その一匹は Tarlin の所へ舞い込んだと言うことで、「大型液晶テレビ?」 「新しいオーディオセット?」 新たな思案に明け暮れています。
 さて、お騒がせ Erill が呆然として言うことにゃ。 なんでも今日の見学会の際、キッチンカウンターの適切な高さというのが (身長)÷2+6 cm なのだそうです。 すると、87cm が Erill の適性高さということで、 体感としてはやっぱり“低い” のだそうです。 
 
 

 Erill、今日は大阪で東京から帰省中の友達と会いました。大の新選組ファンの彼女、お正月は雪の会津の温泉で迎え、ゆかりの人々を偲んだそうです。渋く、風情たっぷりの年越しです。
 お土産に、会津の伝統工芸品、絵蝋燭をもらいました。白い地に、清涼な菖蒲の絵が鮮明に描かれています。和蝋燭というと、赤や白の一色の物しか知らなかったErill、感嘆てしまいました。綺麗で使ってしまうのがもったいないので、当面ずっと飾っておくつもりです。

2005年1月11日(火) 会津の絵蝋燭

 一昨日から、Tarlinの体調が芳しくありません。熱はないのですが、体がだるく、鼻水が出、喉がいがいがするとかで、どうも風邪を引いてしまったようです。明日から週末にかけて出張で、仕事を休めないそうなので、ひどくならないよう祈るばかりです。
 家族の誰かが風邪を引くと、その度にうつらないかと戦々恐々のErill。毎年6回以上は風邪を引く風邪体質に音を上げ、とうとう最終手段(?)として、去年の秋から健康食品のプロポリスを呑み始め(10月15日の日記を、ご覧下さい)、しばらく様子をみたところ、「ん?風邪?」と覚しき軽い症状が数日出ることはあっても、本格的な風邪になることはありません。かなり寒くなった12月の半ばになっても、いたって元気です。
 こうなると、気が大きくなるもので(?)「これは、もしかしたらプロポリスがなくても大丈夫?」と、試しにプロポリスを止めてみたところ、やっぱり元気。以来、風邪気味の時や、外で風邪を引いた人がいる場に居合わせた時だけ、呑むようにしていますが、その効果も手伝ってか、どうやら風邪らしい風邪はひかずに過ごしています。
 ひるがえって、なかなか丈夫なTarlinが、去年の夏風邪、今回の冬の風邪と、しっかり風邪をひいてしまっています。この冬はあまり風邪をひいていないErillとのこのコントラスト、もしかしたらこの原因はプロポリスだけでなく、普段居る場所がかたや職場、かたや家という環境の差ではと思い始めました。大阪という空気の悪い都市で、気密性の高い建物の中、人とOA器機の箱詰めに何時間もなっている・・・という状況こそ、風邪の温床。
 事実、Erillの風邪体質がいつ頃かというと、学生時代はさほどでもなく、@デンマークの寒い冬に耐えていた時期 A大阪で人間社会に奉公していた時期、になります。結論、「病は空気から」。空気のよさって、大切ですね。

2005年1月13日(木) 風邪対策、その後

 日記の更新が二週間近くも止まってしまいました。Tarlinは風邪も治り、元気に(?)土日出張続きの1月下旬、Erillが日記を付けるつもりで、先週水曜日、例によって一週間の出来事をまとめて書こうとした矢先、おぞましい災いが降りかかったのです。
 左足の付け根が、何やら大きく瘤のように盛り上がり、ひりひりと痛みます。ズボンが擦ると痛み、まともに歩けません。初めて出来たゆゆしき異物に、いや〜な予感がしつつ、ネットで調べて見ると、どうやら「毛濃炎」なるもの(要するに、おでき)のようです。体験談によると、治療法としては抗生剤で散らす、または切開、それも麻酔があまり効かない状態で処置される、と書いてあります。いや〜な予感が増幅されつつも、「この程度なら、きっと抗生剤で散らすんじゃない?そうに決まってる」と、甘い観測で半ば自分をなだめすかしながら、次の日皮膚科へと趣いたのでした。
 そして、診察室。患部を見た先生の一言で、甘い観測は一瞬にしてあぶくのようにはかなくはじき飛ばされました。「膿が溜まっている。切開です。」
 「・・・(@_@)」 Erill、ここですでに恐怖で度を失っています。そして、さらに恐怖に追い打ちをかけるお言葉。
 「腫れている所に麻酔をしても、あまり効きません。針を刺す時の痛さと、切開する時の痛さは、同じくらいなので、麻酔なしでやります。頑張って下さい。」
 「〜〜〜(@_@)!!!」 励ましのお言葉はありがたくとも、麻酔の代わりにはなりようがありません。「現代の医学は、何でそんなことも出来ないんですか」と、心の中で無言の叫びを上げても仕様がないので、とにかくどの程度の痛さか確認することにしました。「あの〜、以前、歯が神経過敏で痛んで、麻酔の効かない状態で神経を取ったことがあるのですが、それとどちらが痛いでしょうか?」
 「そこまで痛くありません。とにかく、切開するときよりも、その後膿を押し出す方が痛いので、しばらくの間、頑張って下さい。」
 その後の様子については、先生の言葉通りの痛さであったことだけを書いておきます。そして、Erillが足をひきずって待合室へと戻った時、おそらく処置室から上がったうめき声を聞いていた人達が何人か一斉にこちらを向き、うち、優しそうな老婦人の方などは、Erillの足に気の毒そうな眼差しをずっと向けておられたのでした。
 この「麻酔なし切開→膿出し」処置は、無慈悲にも日曜を挟んで月曜まで4日も続いたのでした。一昨日の月曜、もう膿もほとんど出なくなり、今回はこれで処置打ち切りと言うことで、ほっと胸をなでおろしたErillに、さらに非情な事実が・・・「皮下に袋が出来ていて、そこにたまった膿を抜いたのですが、袋自体をとったわけではないので、また再発する可能性があります。一年後か、二年後か、一週間後か。根本治療は袋を取る手術しかありません。」
 その言葉を聞きながら(決して先生が悪いわけではないのですが)、「頼むから、もうこれ以上憂鬱な気持ちにさせないで下さいよ〜!!」と思いつつ、 「ということは、運が良ければ再発することはないはず」と、勝手に先生の言葉を解釈している自分が居ました。その後、だんだんと良くなり、今日は、階段はまだ足をひきずるものの、普通に座っていられるようになりました。とにかく、パラオ旅行が終わるまでは再発しないことを祈るばかりです。

2005年1月26日(水) 左足の災い

 毛膿炎がひとまず治まり、まだかすかに足に違和感が残っているものの、かなり日頃の行動力が戻って来たErill。Tarlinは土日出張で留守だし、とにかく行けると時に顔を出すべしと、日曜日は奈良の研究会に出かけ、どうやら足の方も大丈夫そうなので、今日は京都の高島屋に「辻村寿三郎人形展」に出かけました。
 Erill、全然知らなかったのですが、HPの相互リンクをしている友人かじさんから招待券をもらい受け、この方がNHKの人形劇『新八犬伝』の作者で、蜷川幸雄演出の舞台の美術を担当しておられることを初めて知りました。
 最終日ということもあり、なかなかの人出。学生や主婦らしき人が多く、人気の高さに驚きました。
 源氏物語、戦国武将とその妻、西鶴文学の女性、幕末に西洋人と関わった女性達・・・ 日本の歴史と文学の世界が展開されていました。それぞれの時代と一人一人の人物の内側お奥深にある心と情念を、そのまま一体一体の表情として発露したかのような人形の顔つき。丹誠込めて作られた彩なす美しい衣裳。その深さと、美しさ、そして人形にこれれほどの魂をこめた作者の姿勢に感銘を禁じ得ませんでした。人形って、絵画や彫刻と全くかわらない表現力を持っているんですね。随所で解説代わりに紹介されている辻村氏自身の文が、また味わい深く、一つ一つの言葉を噛みしめたくなるような文でしした。
 Tarlinのリクエストで林万昌堂の天津甘栗を買って帰り、夕食の支度です。昨日の研究会でフランス語の先生からライ麦入りのカンパーニュというフランス風のパンを頂いたのです。この先生はパン焼きの達人。日本のパンの味に飽きたらず、ご自分でパンを焼くようになったとか。焼かれるパンは、玄人肌です。Tarlin、店先に並んでいるような香ばしそうなパンを見て、「素人の域を超えてる!」と、目を点にしています。
 ライ麦風味のパンに合うように、オーストリアやハンガリーの名物料理グラーシュを作りました。グラーシュは、パプリカたっぷりのスパイスの効いたシチューで、Erillの冬の定番料理です。香ばしいカンパーニュとの相性もよかったようで、美味しいパンを争うように頬張りながら、夜は更けていったのでありました。

2005年1月31日(月) 人形展とカンパーニュ