8月です。8月と言えば、夏真っ盛り。とはいえ、台風のおかげで、昨日はかなり涼しかったし、今日も朝から曇り空ですが、8月というだけで、夏もいよいよ終盤という気分になります。そして、夏と言えば、やはり旅。ここ半年ほどHP起ち上げのために(?)旅行をしていなかったので旅心がうずうずしていたのですが、ようやく解禁(笑)となり、お盆にErillの郷里への帰省を兼ねて、高知に行くことにしました。
 実は、今年のお盆は、昨年秋に亡くなったErillの祖母の初盆にあたります。14日から帰省し、その日の午後は初盆の法要、夜は家族と阿波踊り見物。ちょっと祖母に申し訳ない気がしますが、阿波踊りをはじめ盆踊りは、元来、死者の霊を慰めるためのものなので、賑やかなことが好きだった祖母には、そう悪いことではないだろうと・・・その夜は実家に泊まって、15日に室戸岬、16日に高知市と桂浜、17日に高知を出て、京都(の南の果て)の家に戻る、全部で3泊4日の予定です。
 宿は、一泊目が、室戸岬の朝日が見える岬観光ホテル。二泊目は、本当は雰囲気を変えて、オーベルジュ土佐山という山の中の創作料理が出る洋風宿にしたかったのですが、人気なのか、すでに8月はどの日も満室でインターネットの予約フォームに入ることすら出来ず、桂浜で料理が美味しいと評判の富久美味という旅館を予約しました。土佐の海と、幕末の志士に触れる旅になりそうです。
 高知に行くことが決まって、Erill、おもむろに司馬遼太郎の『竜馬が行く』を読み始めました。恥ずかしながら初めて読むのですが、『坂の上の雲』など後年の作品のどこかごつごつした文章に比べると、あっさりした文体で、比較的読みやすい感じです。旅行までにどこまで読めるかどうか。はてさて。

2004年8月1日(日) 夏は旅

 最近、台風がよく来ます。TarlinとErillが住む京都の南の果ては、多少風が強くなる程度ですが、徳島南部のErillのお里は、ここぞとばかりに直撃ルートに入っています。7月の終わりから、初盆のぼんぼりを玄関先に吊しているそうですが、こういう日は外さざるをえないとか。
 さて、先日、Erillがお里に台風見舞いの電話を入れて、ついでに高知旅行の話をしていた時のこと。
 「お母さん、今度、高知の桂浜に行くから。」
 「桂浜?Erillが小学生の時にいっしょに行ったなあ。」
 Erill、小学生の時に、一度、家族旅行で室戸岬に一泊二日で出かけています。徳島南部から高知東部にかけて、太平洋の海岸線を車でひた走った旅でした。
 「え?あの時は、室戸岬だけで、そんな先まで行けんかったよ?」
 「でも、大きな銅像を見たでえ。あれ、桂浜でなかったん?」
 「はあ、銅像?」
 「そう、あれ、坂本竜馬でしょう。あれ、桂浜でえ。」
 「お母さん、それは、室戸岬の中岡慎太郎!」
 ・・・(-_-; おそらく職場の職員旅行か何かで行った桂浜の記憶と、混ざってしまっているのでしょう。ちなみに、小学生のErillが中岡慎太郎のことを知っているはずもなく、当時は、誰だか知らないけど、大きな銅像、くらいに思ったような記憶があります。
 中岡慎太郎の生家は、室戸岬から見て北にあたる、安芸郡北川村という所にあり、隣には記念館もあります。海沿いではなく、少し山に入った所なので、今回はちょっと行けそうにないかも。

2004年8月4日(水) 室戸の銅像は・・・

2004年5月
2004年5月

2004年8月8日(日) 色々あった一週間

 Tarlin は、8月1日の日曜日より8月7日の土曜日までお休みがなく、今日やっと、のんびりとしています。 で、色々とあったことを溜め書きしてみます。

【外貨預金の段】
 7月の初めに夏のボーナスから、可愛らしく 3000ドルのアメリカドルを購入したところ、一ヶ月の間に4円近く円安になって、さっさと売り払ったら手数料を差し引いても1万円ちょっとの差益が出ちゃいました。 うーん。土・日に会社に出ても手当が貰えるわけでもなく、方や、「はい、買った」「はい、売った」で濡れ手に粟状態。世の中の矛盾を感じた瞬間です。

【念願のショスタコ第11番の段】
 先週、鬼のような忙しさを強いられた一つの原因(いつもの事ですが)が、8月3日にあったPMFのコンサートでした。 大学生の時、初めてCDで聴いて以来、「生で聴いてみたい」と心に秘めて、実現されなかったというか、演奏そのものが日本でされることのなかった、マイ・幻の演目、「ショスタコービィチ 交響曲第11番 ト短調 1905年」 それが演奏されるのです。これが、最初で最後かもしれないコンサート・・・ 終わった後、放心状態でしばし席を立てなかった感動のコンサート・・・ 詳しくは、後日、「星の竪琴」で書きます。

【ワンちゃんの段】
 今日、家からそう遠くない、けいはんなプラザに「クイール」のリバイバル上映を、Erill と観に行きました。 生来、犬は大好きなので、クイールの一挙手一投足に目が釘付けでした。 やっぱり犬は可愛いですね。てな感じで、今日は久しぶりに穏やかな一日でした。

 Tarlinが夏風邪を引いてしまいました。月曜から調子が悪くなり、喉の痛みと鼻水、夜になると微熱が出ます。何よりしんどいのは、体がだるく、頭が重いことのようです。仕事を半日でも休めばいいのですが、月曜も火曜も出張が入っていたし、お盆休みのないTarlinの会社では、来週の月・火は高知旅行のために有休をとっているので、そうもいきません。まあ、治りは早いほうなので、土曜日の四国行きまでにはちゃんと治るか、とタカをくくっています(結局、それが一番心配?)
 大変だなあ、と思っていたら、今度は夏風邪がErillにもうつってしまいました。今朝起きたら、いや〜な喉の痛みが・・・あまりたいしたことはないのですが、何となく体がだるい。寝っ転がって、『竜馬が行く』でも読んで休みたいところですが、そうもいきません。
 Erill、魔法使い修行の一環で、4月から研究会でお世話になっている大学の先生の講義をご好意で聴講させて頂いていたのですが、単位は要らないのに、なぜかレポートを提出するはめになってしまい、締め切りが今週いっぱいなので、どうしても今日、明日中に書き上げないとならないのです。ううん、やはり、ただより高いものはない。(いや、学費を払って聴講したら、なおのことレポートを書かなければならないのですが。というか、もっと早く書いておけばよかったのですが。)おかげで、お医者さんからもらった薬を飲んで、パソコンの前に座っています。
 というわけで、今日の日記はこの辺で切り上げます。風邪、旅行までに完治させたいものです。

2004年8月11日(水) 夏風邪

 万歩計を洗濯してしまいました。TarlinとErill、少しでも健康管理をしようと、去年五月に万歩計を買いました。素の歩数だけでなく、10分以上連続して歩いた歩数は有酸素運動とみなして記録する「しっかり歩数」計測、体重を登録するとその日の消費カロリーも出してくれます。万歩計には、7日間のデータが記録出来、USBケーブルでパソコンに転送すると、専用プログラムににデータが登録されて、週単位や月単位の集計も出来ます。
 最初は珍しがって二人で競うようにデータを登録していたのですが、やはりそこはいつかは飽きてしまう人間の性、最近は、付けないで歩く日も多くなりました。そしてとうとう、今日、洗濯物を干していたら、キュロットスカートから何やらグレーの丸い物が・・・それは、濡れそぼった万歩計でした。キュロットから取り外すのを忘れていたのです。
 水没から約12時間たった今、万歩計は健気に動いています。風邪気味ながらも、高知旅行はなんとか敢行出来そうな体調ですが、旅行の最中に万歩計が停まらないかどうか、気がかりな旅です!?

2004年8月13日(金) 万歩計

2004年8月18日(水) 土佐日記 その一

 昨日、徳島・高知の3泊4日の旅を終えて帰ってきました。 と言っても、徳島は、Erill の昨年亡くなった祖母の初盆なのでした。 詳しくは、「月の北」に(本当に北なのか?)に掲載しようと思います。 ・・・のつもりです。  ・・・したいです。  ・・・うん、きっとするはず。
 空手形を切るのはその辺にしておいて、どんな旅行だったのかを簡単にお知らせします。 一言で言うと、「大いなる歴史のロマン探訪」と言えますが、「酔狂者のオタク旅行」と言われれば身も蓋もないので優しい目で見て下さいね。

 8月14日は、祖母の初盆を終えた後、阿波の真夏の祭典。そう、「阿波踊り」を徳島市内に見物に行きました。 そして、8月15日には、Erill の実家を発ち、一路、室戸へと向かったのです。 まずは、幕末の志士、中岡慎太郎さんの像に丁重に御挨拶をして、お決まりの室戸岬・室戸岬灯台を見学したのでした。8月16日は心配していた天気も杞憂に終わる暑い夏の中、備長炭の集積地として栄えた吉良川町の町並みを散策した後、北川村にて中岡慎太郎の生家と、中岡慎太郎館を見学し、その偉大さに触れたのでした。( うーん、どこぞの慎太郎さんとはえらい違いですな。) そして、田野町では、Tarlinが心酔する「濱口雄幸」の家を見学に行きました。 えっ、「それ誰?」 って、あなた、昭和のライオン宰相。首相として軍部の独走を身体を張って止めようとして、その結果、凶弾に倒れた真の為政者をご存じない? 顔が怖くて「ライオン宰相」と呼ばれているのですが、はっきり言って、どこぞの(またか)ライオンヘア首相とはモノが違います。 それから、安芸市に入って、三菱財閥の始祖である「岩崎弥太郎」の生家を見学しました。 しかし、こうして見ると、高知県は偉い人を輩出していますね。 そして、安芸市の城下町を散策した後に、我らが竜馬先生に会いに高知桂浜へと向かったのでした。
 どうです? 歴史の香りがプンプン香って来るでしょう? 今日は、この辺で・・・ 続きは明日書きます。 

2004年8月19日(木) 土佐日記 その二

 さて、昨日の続きで、自称「大いなる歴史のロマン探訪」第2弾です。 

 私たちが、その後、到着したのが「桂浜」。台風の際、必ずと言っていいほど海の様子を実況中継される、あの桂浜です。桂浜から臨む太平洋は、遠くに大型船が見えるものの、見渡す限り広大な海原が拡がっています。「坂本竜馬は、この海を見て何を思ったのだろうか・・・」などと想いを馳せる一方、そこかしこで売っている「昔なつかし アイスクリン」に心惹かれたりしていました。

 そして、今回の旅の大きな目的でもある竜馬さんの像にご挨拶に参りました。なんとも堂々としたいい銅像ですね。色々な所に数々の偉人の銅像がありますが、桂浜の坂本竜馬は、もっとも素敵なものではないかと思ったりします。
 その後、「昔なつかし アイスクリン」を食べもって坂本竜馬記念館に行って、桂浜のすぐそばにある冨久美味というお宿に入ったのでした。 このお宿は伊勢海老料理が自慢で、美味しい伊勢海老をたらふく食べて、「明日はどんな旅になるのだろう。ムニャムニャ・・・・ zzzzz」と眠りについたのでした。

 旅の最終日、あいにく、この日の空は泣き虫さんでした。(というか、私たちがいた高知市は、それでも降ったりやんだりで、お昼からは傘要らずだったのですが、なんか、所によっては大変なことになっていたようですね。)
 

 まずは、お宿の女将さんに聞いてもご存じのない、ツーだけが知っている「濱口雄幸首相の生家」へ、幾度も道を間違いながら向かいました。 そこは「濱口雄幸生家記念館」となっていて、色々な資料も展示されています。それらを見ていると、Erill が「ひゃーッ この人」と声を上げるではありませんか。「なんぞね?」と問うと、「内閣に小泉のじいちゃんが・・・」と言うのです。そうなのです。濱口内閣の組閣時の写真と大臣の名前がかかれたパネル

があり、『逓信大臣 小泉又次郎』と書かれているのです。 なんと、我が敬愛するライオン宰相の内閣に、単なるライオン丸の小泉首相のおじいちゃんがいたのです。(写真最左)それも逓信大臣で・・・、逓信大臣と言えば郵政を管轄するトップではありませんか。一体、ライオン丸とおじいちゃんの間には何があったのでしょう。。。
 この後は、高知県立美術館に行き、この美術館の目玉であるシャガールの絵画を堪能しました。 それから、「坂本竜馬うまれた町記念館」に行った後、酔狂者のErill にせがまれて、「旧山内家下屋敷長屋」なるものを見学してから高知城・県立文学館に行って全行程を無事終えることが出来ました。
 実は、それから大波乱が・・・ 「土佐を満喫したぜよ」と帰途についたのは夕方の6時少し前でした。「今日中には帰れるきに」と意気揚々と車を転がしていると、途中で「高知道 大豊〜川之江 雨 通行止」 の掲示が (・ ・);  「か、か、帰れんきに」と顔面蒼白のTarlinを尻目に、お気楽Erill は「どこかに泊まって明日も会社休む?」などと、たわけたことをのたまっているではありませんか。 結局、大豊ICからは、とぼとぼと一般国道を走って帰ってきたのは夜中の1時頃でした。
 色々とありましたが、実り多き歴史ツアーでした。  おしまい。

 今日は、四国旅行から帰って、第一週目の日曜日。恐れていたTarlinの休日出勤もなく、家でゆっくり旅の疲れを癒す週末となりました。とはいえ、じっとしていたわけではなく、昨日は部屋の掃除(Tarlinはお掃除マニアです)、今日は、毎月恒例(?)のけいはんなプラザでの映画鑑賞会に行って来ました。今日の上映は、「コールド・マウンテン」。この映画鑑賞会は、毎回ロードショウが終わって、数ヶ月後〜半年くらいたった映画を上映することが多いのですが、春から夏にかけては、アカデミー賞争いに加わった映画がスクリーンにかかることが多く、得した気分になります。
 今回の映画の内容は、知っている方も多いと思いますが、南北戦争を舞台にした反戦叙事詩。つらい場面が続きますが、ずっしりと重い、いい映画でした。次回9月の上映は、なんと「トロイ」!7月の終わりに、上映が終わる前になんとしても見ねば、と映画館に走ったErillは、ちょっと複雑・・・でも、二回見れるのは嬉しいし、何より、見逃して残念がっていたTarlinも大画面で観るチャンスが回ってきたので、よかった、よかった。
 午後は、のんびりと過ごして、夜は、日曜日のお約束、大河ドラマ「新撰組!」観賞です。Erillの好きだった山南敬介が、とうとう最期を迎えてしまいました・・・(大涙)。脱走し、追っ手に従って隊に戻ってなお、土方までもが陰に逃がそうとするのを見ながら、テレビの前の誰もが、「山南、逃げて!」と心の中で叫んだのではないでしょうか。
 最近、隊の内部対立とそこに展開する人間模様があまりにも不条理に過ぎる感じで、見るのが嫌になりそうだったのですが、今回は、山南役の堺さんの名演もあり、久々に悲しくも見終わった後に「いいものを見た」という気持ちが残りました。特に、土方。またまた土方ファンの方には申し訳ないのですが、はっきり言って、このドラマの土方は、TarlinにもErillにもとっても嫌な奴に見えていました。が、今日はじめて「ああ、いい奴だったんだ。」と思えました。ぎりぎりまで冷酷に描き、最後の最後にその印象を覆す。これも三谷さんの(少し見えすぎるくらいの)脚本上の作戦なんでしょうけど、ここは、この作戦にはまるのが、観劇の妙というものでしょう。山南さんはいなくなったけど、次回は坂本竜馬の「寺田屋」。やっぱり観てしまうのでしょうね。

2004年8月22日(日) 旅の後の日曜日

 今日は、Erillの学生時代の友達が東京から関西に帰省してきたので、久しぶりにいっしょに京都を散策しました。会うのは数ヶ月ぶりですが、いっしょに街歩きに出かけるのは、数年ぶりです。

2004年8月23日(月) 壬生散策

 彼女は、数年来の新選組ファン。Erillが大河ドラマの影響で近頃にわかに幕末に興味を持っていることもあり(最近、こんな話題ばかりですいません)、新選組ゆかりの地、壬生を案内してくれました。まず、訪れたのが、旧前川邸。新選組の最初の屯所、八木邸の向かいにあります。組織が大きくなるにつれ、八木邸と並んで新選組の屯所として使われました。現在も所有者の方が生活される「生きた町屋」で、路地から見やる格子窓が往時を偲ばせます。

 次に訪れたのが、旧壬生屯所跡八木邸。現在は、「鶴屋鶴壽庵」という和菓子屋を営んでいます。やはり大河の影響か、屋敷内は人でいっぱいです。一度に50人しか座敷に上がれない為、平日にもかかわらず中に入るまで10分くらい待ちました。お庭も綺麗な、いい町屋です。こんな人心地のつける空間で暗殺を繰り広げたとは、「使命感」とは恐ろしいものです。見学の後は、表通りに面した鶴壽庵で抹茶と屯所餅を頂きました。壬生菜の風

味が押さえた甘みに涼感を添え、美味でした。Tarlinに一箱お土産に買って帰りました。
 3カ所目に訪れたのは光縁寺。山南敬介や河合耆三郎など、非業の死を遂げた隊士の墓があります。隊士の墓は雨に打たれて、いっそう密やかに、固く黙しているように見えました。山南敬介の墓に向かって厳かに合掌したのは、言うまでもありません。
 この日は時間的なこともあり、光縁寺で壬生散策を終えました。京都は、いつ歩いても様々な時代の片鱗が漂っているようで、面白いですね。次は、壬生狂言の頃に壬生寺を訪ねてみたいと思います。

 アテネ五輪が終盤を迎えました。日本勢のメダル獲得も嬉しいのですが、なんと言っても世界を代表するアスリート達のトップレベルの演技が連日目を楽しませてくれます。
 シンクロや体操のように演技の完成度を競う競技でなくても、その道を極めた人の動きは、隙がなく美しいもの。陸上、競泳、柔道などの格闘技、サッカーやバレーなどの球技など、あらゆる競技に美があります。
 とはいえ、こういう目で見てしまうからでしょうか、Erillの場合、シンクロや体操、飛び込みなどのフォルムの美しさを見せる競技にやはり一番興味が惹かれます。昨日は、日帰り出張でいつもより少し早めに帰ってきたTarlinといっしょに夜テレビをつけたら、体操のエクシビションをやっていました。エクシビションといえば、冬季五輪のフィギュアスケートの専売特許のようなイメージがあるのですが、夏は体操でエクシビションをしてるんですね。不覚にも知りませんでした。
 体操のエクシビションですが、これがとっても楽しい。本競技では集中力そのもののような選手達が、音楽に合わせて持ち味をたっぷり披露します。音楽が付くだけで、もう競技というより一級のショーといった雰囲気です。何人かごとの演技の合間には、ギリシャの子供達の集団演技が入ります。一人一人は大変上手なのですが、全体映像になると微妙に揃っていない所が、何だかギリシャらしくて可愛いらしかったりします。
 本戦がまだの新体操の有力選手も、まるでモダンバレエのような本番以上に見応えのある「舞踊」を披露してくれます。でも、本競技を控えてエクシビションに出るって、どんな心境なんだろう?Erill、新体操は表現力と技のバランスが何だか中途半端で今ひとつ興味が持てなかったのですが、今回のエクシビションを見て、やっぱりチェックしようと思いました。
 実は、この日記を書いているのは、シンクロ生中継の真っ最中。この辺で筆を置いて、テレビの前に座ります。

2004年8月25日(水) 体操のエクシビション

 今日は8月最後の土曜日。台風が近づいていますが、どうしても出かけなければならない所がありました。神戸市立博物館で7月から開催されている「栄光のオランダ・フランドル絵画展」です。Erillの愛するフェルメールの作品が展示されるというので、招待券を新聞販売店に頼んでもらっていたのですが、有効期限が8月いっぱいだったのです。もっと早く行くつもり が、何かと予定が重なって結局ぎりぎりとなってしまいました・・・展覧会そのものは10月11日まで開催しているので、今回はそこまで混んではいないだろうと、楽観して出かけました。
 が、そこはやはり人気のフェルメール作品。出来るだけ人が少ない状態で見たいと思い、準備に手間取っているTarlinとは会場で落ち合う約束で、Erillだけ先に7時前に家を出ました。そして、開館15分前には博物館に着いたのですが、すでにi入り口の前には行列が・・・待っている間にも列はどんどん長くなっていきます。少し心配になったのですが、中に入るとさほどでもなく、見ている人が一列でゆっくり流れていく程度でした。。
 フェルメールの絵は、素晴らしいの一言でした。展示方法も、この傑作の理解をはかるために、実によく工夫されていました。初めてフェルメールを観るTarlinも、感じ入ったようです。感想は、また後日「時の結晶」にアップしたいと思います。絵を見終わったあと、、ミュージアム・ショップでフェルメールの絵をあしらった栞や携帯ストラップを買い込み、大満足で博物館を出ました。
 美術鑑賞は、エネルギーを使います。美しい物を観た後は、美味しい物・・・ということで、昼ご飯です。ガイドブックから見つけてきた異人館街の洋食屋さんに行こうと、三宮から坂道を上って歩くこと15分、お目当ての店をやっと見つけたと思うと、何やらおかしな雰囲気。入り口は閉ざされたまま、靴の泥を払うマットはめくれ、枯れ葉が積もっています・・・これは、明らかに閉店。2001年発行のガイドブックの情報が古かったのでした。
 しかたなく元来た道をとぼとぼ降りて行く途中でTarlinが見つけた「ステーキ屋−ハヤシライス・ランチ限定20食」の看板に惹かれて、その店で昼食をとることにしました。カウンターに椅子が5−6脚並ぶだけの小さなお店。こだわりのシェフが作ったハヤシライスは、ドミグラソースがとってもジューシーでした。
 昼食後は、電車で灘まで移動して、Tarlinのお目当ての昔の酒蔵「沢の鶴資料館」へ。昔の酒造りの道具が展示してあるこの資料館は、一度震災で全壊したのを再建したもののだそうです。展示を見終わった後は大吟醸を試飲し、芳醇な味わいを堪能して(注:Erillはジュース)、敷地を出ました。あらかじめ予定していたスケジュールはここまで。さて、次はどこへ行こう、というところで、口の中が洋食モードになっているTarlinが、夕食は、どうしてもガイドブックに載っていた芦屋にある別の洋食屋にしたいとのたまいます。
 芦屋なら、谷崎潤一郎の記念館がある、とまたまた電車で芦屋に向かうことにしました。記念館は、閑静な住宅街の一角、図書館や美術館が集まった文化ゾーンにありました。谷崎の自筆原稿や手紙が、年代を追って展示されています。面白かったのは、昭和初期の東京から関西への速達。封筒にはしっかり「航空便」のシールが張られています。国内便でも航空便扱いなんですね。・・・それにしても、わざわざ文豪の記念館に来て、いったい我々は何に感心しているのでしょう。
 また、谷崎と志賀直哉と吉井勇の三人が対談しているテープがあり、この3人の声が聞けます。谷崎潤一郎と志賀直哉が話している場面など、作風からすると想像がつかない感じですが、観劇や一高のことなど、ちゃんとあたりさわりのない話をしていました。声は、谷崎が艶のある太い声、志賀直哉は少しハスキーな枯れた声で、何となくイメージ通りでした。
 そして、今日の最後の仕上げは、夕食。住宅街を通り、駅の線路をくぐり、緑の木立が茂界隈を抜けて、歩くこと30分。今度のお店は、ちゃんと営業しておりました。トロトロに煮込まれたビーフシチューと、ホワイトシチューがそのまま入ったようなクリームコロッケに舌鼓を打って、本日の神戸行きは終了となったのでした。 
 万歩計をみたら(お盆の前に洗濯してしまったErillの万歩計は、今も健在です)、本日の歩数1万7千歩。展示も、食事も、歩数も大満足の一日でした。

2004年8月28日(土) 絵と酒と文学と

2004年8月31日(水) 人間界でのお仕事

 今日は、Tarlinの姉上様のご一家が、我が家にやって来ました。姉上様のご一家が来る日の夕食は、自動的にメニューが決まっています。それは、「すき焼き」。冬でも、夏でも、「すき焼き」。暑くても寒くても「すき焼き」。なぜ一年中すき焼きなのかは、私達には一向に分かりません。"There is no accounting for the taste."としか説明のしようがありません。真冬のアイスクリームのように、暑い中ふうふう言いながら食べるすき焼きも、また趣があるということで・・・
 というわけで、TarlinとErill、朝から食材を調達しに、車で20分の所にあるお肉屋さんまで買い出しに出かけました。家を出る前に、必要な量をTarlin母殿に確認したところ、「1.5キロ買ってきて」「え、1キロの間違いじゃ・・・」「否、1.5キロ。」
 びっくりしながら、とにかく言われた通りに1.5キロの牛肉を買ってきました。デザートにこれまた直径30cmのガラスボールいっぱいの杏仁豆腐を用意して、客人様のご到着を待ちました。
 午後6時過ぎ、客人様達がやって来ました。姉上様と姉上の夫君、その二人のご息女です。我が家の面子を含め総勢7人が、クーラーを効かせきった部屋でぐつぐつ煮えるすき焼き鍋をつつきました(なんて環境に悪い・・・)。育ち盛りのお子達と、大食漢○名に狙われて、1.5キロもの牛肉は、約一時間後、きれいになくなっていました・・・恐るべし、食への飽くなき欲望。しかし、一人当たり200グラム強なので、だいたいこんなものなのでしょうか。
 デザートに出した直径30cmのガラスボールいっぱいの杏仁豆腐も、残らず消えてしまいました。ここまでくると(?)、作り手冥利に尽きます。
 その後は、姉上様一家の七月の東北旅行の写真と、私たちの高知旅行の写真を披露しあって、夜が更けていきました。夏の東北は美しいですねえ。特に写真を見せてもらった田沢湖の水の色は、目が覚めるようなコバルトブルーです。TarlinもErillもまだ夏の田沢湖には行ったことがないので、いつか、実際に訪れてみたいものです。
 なんだか、美味しいものを食べて、ひたすら悦に入っていた週末でした。

2004年8月29日(日) 真夏のすき焼き

 今日は8月最後の日。台風一過の後、夏らしい日差しが戻ってきました。明日からもしばらく残暑は続くのでしょうけど、8月の末日となると、さすがに夏の終わりという感傷が漂います。
 とはいえ、人はいつも感傷に浸ってはおれません。Erill、人間社会からもらいうけていた三ヶ月にわたる失業給付という名の恩賞が切れ、少しでも魔法使い修行のタシにと、人間社会に出稼ぎにいくことにしました。今日は、午後は京都のとある派遣会社に登録、夕方は近くの研究所で、被験者のお仕事です。いつもは外から眺めているだけの研究所に今日はじめて入りました。外見も小奇麗ですが、中も小奇麗。内容は、とても地道な、しかしちょっと不思議な単純作業。今日から三日間、続きます。
 久々の現金収入。少しだけわくわくしています。