2004年5月24日(月曜日) あと少し・・・

 今日は、朝から気持ちの好い晴天。先週ぐずついていた空に、やっと五月晴れが戻りました。
 Tarlinは朝からお勤め。Erillの方は、出歩きたくなるのを押さえて、一日中書斎でパソコンの前に座り、ホームページを作っていました。この4ヶ月間、暇の許す限り時間を割いて作業をしてきました。それでも、まだまだ工事中のページがいっぱいです。
 フィルムスキャナで写真を取り込み、素人なりに色調調整を施し、レイアウトを考え、古い記憶を呼び覚まして文章を書く。元来、技術屋のTarlinはともかく、機械音痴のErillが、お絵かきソフトを使って下手ながらもイラストを描きました。初めての作業も多く、慣れるだけで一苦労した面もありましたが、生みの苦しみは、また生みの喜びも伴うもの。楽しく時間が過ぎていきました。
 こうして公開に至った初めてのホームページ、まだまだ不慣れで不出来な点がいっぱいですが、末永く見守ってください。

2004年5月

 昨日5月25日、このサイトの公開日は、実は、私達の結婚記念日にあたります。この日は、曜日にかかわらず、一日二人でどこかへ出かけ、結婚式を挙げたホテルでディナーをとることにしています。
 私達は、午前中から大原に出かけました。平日で人も少なく、まばゆいばかりの楓の新緑と、京の奥座敷らしい静かな山里と古刹の風情に、ゆったりと浸ることが出来ました。
 最初に訪れたのは、寂光院。建礼門院が身を寄せていたことで知られ、重要文化財の本堂のひなびたたたずまいが、いい雰囲気だったのですが、4年前の放火で焼け落ちてしまい(許せない!)、再建中の本堂の前に原寸の6分の一の仮本堂が建てられていました。
庭が美しいだけに、とても悲しい光景でした。
 三千院は、そこそこ人がいました。紫陽花はまだ咲き始めで少し時期が早かったのですが、苔が見事でした。大原を訪ねて、ここしか来ない人も多いのでしょう。
 そのあと、三千院の参道の下から左手に続く坂道を上り、音無の滝を訪ねました。この道はとてもいいです。この日は、私達の他にほとんど通る人がなく、楓の清々しい若葉のトンネルを独り占め出来ました。紅葉も見事だと思います。音無の滝は、小さな滝ですが、途中、水が二筋に分かれ、また重なって流れ落ちる姿が繊細です。

2004年5月26日(水曜日) 第2回結婚記念日に大原へ

 「京都大原三千院 恋に疲れた女が一人〜」という歌がありますが、失恋を癒すなら、華やかな三千院よりも、絶対にひっそりした来迎院がいいよね」、と二人で話し合いました。
 来迎院の後は、宝泉院で抹茶を飲みながら、庭を眺め、水琴窟のかそけき音色に耳を澄ませました。鶴亀の庭では、たまたま居合わせた住職さんに庭の味方を教えてもらうことが出来ました。池が羽を広げた鶴、その後ろの緑の築山が亀、築山に生えている木が蓬莱山なのだそうです。築山が蓬莱山と思い、亀がどこなのか分からなかったErillは、とても納得しました。
 ちょうど大原女祭りの時期で、大原女の格好が出来るというので、Erillもやってみたかったのですが、予約をしていないと駄目とのこと。次回に期すことにしました(笑)。
 ディナーのフランス料理のフルコースは、和風の味が採り入れてあり、食べやすくて、とても美味しかったのですが、何せすごい量。大食漢のTarlinも今朝は朝食抜き、Erillは食べ過ぎで胃がもたれ、結局胃薬を飲む羽目となりました(泣)。結局、普通の調子に戻ったのは昼過ぎ。遅い昼食はかき餅一枚と、ヨーグルトで済ませました。なんか、本末転倒した退廃ぶりで、情けなや・・・です。
 それというのも、お皿に残ったソースを、パンに付けて最後まで食べたせいです。シェフへの最大の讃辞と言われるこの行為、パンを取るのを慎めばいいのですが、そうするのは、あまりにももったいない。来年は、それぞれのお皿毎に一切れ試す程度にしておこうと誓うのですが、果てさて、我慢出来ますことやら・・・

 滝へ行く途中にある来迎院という小さなお寺は、昔は三千院と同じお寺だったそうですが、明治時代に法令が出て、分院したそうです。(三千院の下にある宝泉院や勝林院も同じです。)小型の三千院という感じで、本尊の阿弥陀三尊も見応えがあり、庭園も整った、いいお寺ですが、どこかひなびた山寺風の雰囲気が漂っています。ここも私達しかおらず、お堂の中でしめやかな阿弥陀様を拝みながら、静かな一時を過ごしました。

2004年5月29日(土曜日) 大掃除に思う人間の性

 ホームページを起ち上げたのが5月25日で、今日はそれ以来初めての土曜日です。これまで休日で家に居る日は、部屋の掃除などはそっちのけでホームページ作りに勤しんできたため、部屋は、はっきり言って荒れ野と化していました。元来、無頓着なErillはそれほどでもないのですが、Tarlinは忍耐の限度を超えていました。そこで、今日はTarlinの大号令の下、○ヶ月ぶりの大掃除が決行されました。
 ホームページ作りに使った写真のフィルムやパンフレットを整理して、埃をはらい、お菓子の屑を片づけること7時間、そこには再び、麗しき空間が戻ってきたのでした。しかし、こんなことをするくらいなら、ホームページ作成中もこまめに片づければいいのにと思うのは、学生時代、試験の時に、「こんなことなら、授業が終わった後にちゃんと復習しておけば良かった。」と思うのと同じで人間の性なのでしょうか。

           
         
皐月

2004年5月30日(日曜日) 庭のキンギョを救え!

 今日は五月最後の日曜日。お天気は、五月晴れとはいかないまでも、そこそこの好いお天気です。ErillはTarlinを家に残し、新緑の奈良公園へ・・ではなく、大学院時代からお世話になっている研究会へ出るために奈良市内の大学へ、Tarlinはその間、家に残って庭の芝刈りです。
 Tarlin&Erill宅の庭は、芝生部分と、道路脇の花壇部分から成り立っています。春の花が咲き終わり、樹木にはお礼肥を施し、花壇は夏の花へと植え替えをする時期です。Tarlinの今日のお仕事は、花の咲き終わったハナミズキへのお礼肥をやる為の芝のエッジング。我が家ハナミズキは、芝の中を丸く刈り込んだ所から生えているので、その周囲を少し大きくしてやり、肥を入れやすくします。
 花壇の植え替えは、二週間前に終わっていました。夏仕様にするために、春先から初夏まで花壇を彩ってくれていたヴィオラを抜き、ベゴニアを植えます。さて、昨年はベゴニアだけで花壇を作ったのですが、それでは単調。今年は、少し趣向を変えようと、一番奥にキンギョソウ、次にコリウスを植え、その前にベゴニアを植えてみました。キンギョソウは、特にErillの今年のこだわりでした。
 ところで、TarlinとErillの家には、Tarlin母も住まわれております。母様いわく、「苗を植えるときは、根を割ったらいいよ」と。園芸の大先輩である母様の言葉を信じ、Erillは、全ての根を割りました。ところが、キンギョソウだけは上手く割れません。無理に割ろうとすると、根が四分の一、ひどいものになると三分の一くらい取れてしまいます。これはいけないと思ったErillは、6本買った苗のうち3本目で根を割るのを止めました。こうして、我が家の庭には、可憐な黄色とピンクの金魚が泳ぐことになりました。
 ところが、それから一週間とたたないうちに異変は起きました。キンギョソウのうち一本が枯れ始めたのです。Erillがああ・・・と思っているうちに、その苗は母様の手によって抜かれ、花瓶を飾ることにになりました。そして、更に一週間、残った5本のキンギョソウのうち、2本もしおれ始め、母様の手によって抜かれ、荼毘に付されたのでした。
 空いた空間を埋めるため、空いた所にコリウスとベゴニアを順に後に寄せて、前にペチュニアを植えることにしました。ぺチュニアの苗は、Tarlinの姉上の夫君、兄様の提供です。兄様は、園芸の大師匠であらせられます。母様も何かとその助言を敬っておられます。Erillがキンギョソウのことを話すと、大師匠様は穏やかな口調で一言、「キンギョソウのような直根型は、根を割っちゃ駄目ですよ。」
 それを、先に言って〜!!次回は、新種にチャレンジする時は、必ず大師匠様のご助言を仰ぐこととさせて頂きます。来年こそ、キンギョを死なせまいと誓うErillでありました。